最近、「書き足りなかったんですね」と言われることが増えた。『兄の終い』の補稿を書きまくっているからだ。冷静に考えてみると、確かに書き足りなかったのかもしれない。いや、次々と思い出しているのだと思う。出版が済んでからあまりにもいろいろなことが起きて、書かずにはいられないという、ハイな状態が続いている。
「書き足りなかったんですね」と言われると、確かにそうで、あと一冊ぐらい書けそうな気がしてきたよね……ヽ(´▽`)/
先ほどお風呂に入っていてふと思い出したことがあった。多賀城市内にあるスーパー、ミラックマツヤのことだ。ミラックマツヤはたぶん、市内では人気の激安スーパーで、加奈子ちゃんの運転する車で何回か前を通った。スーパー大好きな私はなかに入りたくてたまらなかったし、絶対に兄はミラックマツヤに行っていたはずだと妹の勘で確信していたのだけれど、加奈子ちゃんに「立ち寄りたい」とは言い出せなかった。
多賀城最終日、一緒に車に乗っていた良一くんが、「あ! ミラック! ここ、お父さんと一緒によく来てたよ!」と言ったとき、私は、「ヨッシャー!」と密かに心のなかで叫んだのだが、加奈子ちゃんは無言だった。無言の加奈子ちゃんに、「行きたい!」とは言えなかった。加奈子ちゃんが無言だった理由は、そこに行く兄を想像したくなかったのだと思う(たぶん)。
確かに、ミラックと兄の姿は結びつかない。兄があの大きな体でミラックに行き、食材を買っている姿なんて本当に想像できない。はっきりとした理由は説明できない。でも、ミラックに一歩足を踏み入れたら、きっと兄の後ろ姿のようなものが見えてきて、そしてつらくなっただろうと思う。あの人、何を考えながら、良一君を連れて、あの雑然とした店舗で食材を選んでいたのだろう(ちなみに念のため書くと、私自身はミラックマツヤのようなスーパーは大好きです)。
加奈子ちゃんは、「あの人はいつも料理を作ってくれていたよ。日曜日になると、ちょっと遅めの朝食……ブランチって言うのかな? そんな感じで家族全員にご飯を作ってくれた。おい、おまえたち、できたぞーって言って……」と話していた。私は、「そうだよね。あの人は料理がすごく得意だったから」と返した。確かにあの人は料理が好きだったし、上手だった。なんでも手際よく作り、あと片付けもできる人だった。それなのに、あの汚部屋 of 2019みたいになった部屋はなんだったのだろう。長い間生きてきたけれど、あの部屋に踏み込んだときに感じた絶望以上の強い感情を、私は今まで経験したことがない。あのとき踏みしめた一歩。汚れきったクッションフロア、沈み込むつま先。忘れたくても忘れられない。きっと忘れてはいけないのだ。
今日は夕ご飯に餃子を食べたのだが、5年ぐらい前に、兄に半分無理矢理つれて行かれた舶味亭(はくみてい)というラーメン屋で食べた餃子を思い出した。焼津のはずれの防波堤前の小さな店だった。「ここの餃子が一番だ」と言って注文してくれた兄と、カウンターで横に並んで餃子とラーメンを食べた。成人してから兄と二人きりで食事をしたのは、それが二回目。一回目は京都の上桂駅近くの焼き肉店だった。
大切なことは忘れるのに、どうでもいいことは隅々まで覚えている自分。自分にとって「どうでもいい」と思えるこんな兄との時間は、実は大切なのだろう。そうに決まっている。
休校は74日目。息子たちは一日中、iPadでマンガを読んでおりました。正しい休みですね。
ばんごはん:冷凍餃子
