『兄の終い』補稿 父の病室で

いろいろ思い出しているので、忘れる前に(._.) φ メモメモ

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 父が胃癌で入院する前、たぶん数週間前のことだったと思う。父と私は居間にいて、一緒に昼ご飯を食べていた。何を食べていたのかは忘れたけれど(たぶん近所の店のソース焼きそばの出前か、カツ丼の出前)、昼に父が家にいることは大変珍しく、そのうえ、食卓にいることなんて、年に数回あるかないかのことで、私はうっきうきな気分で父と話をしていた。私は父が大好きだった。父も私をかわいがっていた。それは誰もが知るところだった。母さえ私に、「パパは理子ばかりかわいがる」と嫌味を言ったほどだ。そんな私と父が仲良くランチを食べていたところに戻って来たのが、父と大変仲の悪い、私が大嫌いな兄だった。

 兄と父は、顔を合わせればケンカをしていた。それも、激しい罵り合いというか怒鳴り合いというか、時には本気の殴り合いをした。以前住んでいた港近くの大きな家の壁には、父と兄の殴り合いでできた穴がたくさん開いていた。壁に鉄パイプが刺さっていたこともある。それなのに、互いが互いをきっと、非常に気にし、心配し、意識していたと思う。父は兄が部屋に入って来ると憮然とした表情で、「おいこのヤクザもん、仕事はしてんのか?」と聞いた。兄はそんな父の、半分ふざけた挨拶を聞いた途端、激高して、大声を張り上げた。

 「クソおやじ! 死ね!」と、突然叫ぶと、そこにあった座布団を父に投げつけた。マンガかよ。しかしその座布団は見事父の頭に命中、父のサラサラのグレイヘアー(ハゲてませんでした)が乱れ、悲しそうな父の顔にはらりとかかった。私はその父の姿を見て、驚愕していた。以前の父であれば、座布団が命中する1秒前に兄の顔面に渾身の右ストレートを命中させていたからだ。そしてきっと、この世に存在する限りの罵詈雑言を兄に浴びせかけ、兄をねじ伏せ、黙らせただろう。どっちもどっちやな……。

 なんの抵抗もしない父を見て、兄は涙声になって、馬鹿にしやがってこのやろうと捨て台詞を残し、玄関を乱暴に閉め、大型バイクにまたがって、大音量でパラリラパラリラと鳴らしながら、どこかへ消えて行った。

 私は弱ってしまった父の姿が悲しくてたまらず、部屋に戻って布団に入って、兄なんて大嫌いだと考えた。パパになんてことを……ばかばかしねしね。

 そこからしばらくして、父が入院した。数週間もすると、父はナースステーション横の個室に移動した。つまり、死期が迫っていたのだ。私は母と一緒に父に付き添っていた。父は、痩せ細ってはいたけれど、意識ははっきりしていた。父は母の一挙手一投足に苛立ち、文句ばかり言っていたが、私には優しく、病室をたずねると苦しそうにしながらも話をしてくれた。夢だとか、音楽だとか、本だとか、まあそんなことだ。

 ある日の夕方、父の病室のドアがゆっくりと開き、兄が半分だけ顔を出した。病室には入らなかったが、私の表情を見た父は、すぐに兄が来たことを察した。母は何も言わずに、すっと病室を出て行った。そんな母の姿を見て、父は私をじろりと見て、「タカだな」と言った。

 「そうだよ」と私は答えた。兄は家族からタカと呼ばれていた。

 「金か?」と父は聞いた。

 「そうだろうね」と私は答えた。

 父は力なく笑って、「いつまでたってもバカ野郎だな」と私に言った。父はそれから間もなく亡くなったが、葬儀で一番泣いていたのは兄だった。私は父の葬儀でも一切泣かず、「理子はやっぱり強いね」と親戚中に言われ、祖母には「誰に似たのかね」と言われ、釈然としない気分でウォークマンで音楽を聴いていたのを記憶している。

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