20190624 思いついたときに書いておくべし

先日、朝日Weeklyに寄稿したのをきっかけに、古いアルバムを引っ張り出してみて、気づいたことがひとつあったので書いてみようと思う。個人的なことなので書くかどうかはしばらく迷ったが、ここはブログなので、まあ、いいとしよう。時間をかけずに一気に書くので、おかしいところがあったらごめんなさい。

朝日Weeklyに父のことを長々と書いた。特別な話ではない。父は三十年前に他界しているのだが、原稿として書いたことでとても懐かしくなって、母の葬儀の日に実家から持ち帰ってきたアルバムを開いてみた。そこには若かりし頃の母の写真がいっぱい貼られていて(なんかちょっとモデル風に撮影しているのとかあってウケた)、私の知らない時代の母や母の両親(つまり私の祖父母)、父、兄の写真もあって、私的には眺めていてとても楽しいものだった。

充分堪能してからもう一冊のアルバムを開くと、今度は私が今まで知らなかった母方の親戚の写真が山ほど出てきた。なんなんだこれは……と、唖然とするほど誰だかわからない。それでも確かに私と血が繋がっている人たちだ。これはとっても不思議な感覚である。そしてしばらくアルバムをめくり、やっぱりこの顔が出てきたかと思ってしまった。母の弟で、私の叔父の昌治(まさはる)だ。どのページにも叔父がでてくる。むしろ、出てこないページがない。

叔父は小学校に入学する前に大きな事故に遭って、体が不自由だった。十歳頃の写真だろうか、自転車に乗る叔父の右足は膝から下がすでになく(事故で切断したのだ)、左足だけが地面についている。ただ、両手の様子も体も自由が効きそうで、私の記憶にある叔父の状態よりは、ずっと元気そうだ。

私は叔父と数年間一緒に暮らしたことがある。そのとき叔父は四十歳ぐらいにはなっていたと思う。朝から晩まで薄暗いけれど居心地のよい居間に祖母と二人でいて、テレビを見たり、昼寝をしたり、ラジオを聞いたり、静かに暮らしていた。いわゆるデイケアのようなサービスは受けていなくて、叔父が外出をするのはそれこそ月に一度もなかったように思う。ずっと家にいる人だった。よく発作を起こして倒れていた。

叔父とはとても仲がよかった。ごはんを作ってあげていたし、車椅子に乗せて散歩に出たり、一緒に花火を見たり、テレビを見たり、まんがを読んであげたりしていた。叔父も私のことは好きだったと思う。よく、100円だの500円だの、私にくれて、お菓子でも買えと言ってくれた。見た目のインパクトが若干強い人だったので、友達が家に遊びに来るときは気が引けたときもあるが、それもいつの間にか慣れた。今思い出しても、叔父との関係は良好だった。

それなのに、進学を機に実家を出た私はほとんど叔父に会いに行かなかった。祖母が年老いて叔父の面倒を見ることができなくなり、同居していた母もギブアップし、施設に入所したと聞いてもなお、私は叔父に会いに行かなかった。たった一回、27歳のころ、静岡の山奥の施設に叔父を訪ねて行って、一時間ほど話をした。叔父はもちろん私をしっかりと覚えていて、うれしがって泣いた。それが最後だ。

ここのところずっと、特に子どもが生まれてからは、ことあるごとに叔父のことを思い出して苦しい気持ちになってきた。あの人は、いったいどんな人生を送ってきたのだろう。幸せだったのだろうか、それとも寂しかっただろうか。それまでずっと一緒に生きてきた祖母と別れ、一人で施設に入所し、最後は癌で死んだ。学校には行ったことがないと母に聞いていた。訪ねてくる友達なんてひとりもいなかった。

しかし、はじめて開いてみたアルバムは、隅から隅まで叔父の写真ばかりだった。横浜の中華街、奈良、長崎、広島、東京。どの写真でも、叔父は笑顔だ。傍らにはいつも、祖父と祖母。学生服を着た写真を見つけたときは、思わず声が出た。「学校、行っていたんだ!!」

祖父と祖母以外にも、叔父は常に多くの人に囲まれ、笑顔で写真に収まっていた。きっと、幸せだったのだ。いい顔してるもの。はじめて見たよ、こんな幸せそうな顔を。

叔父の葬式を出した母のメモを見たことがある。葬式代の工面が大変だったという記述の最後に、「まあちゃん、ありがとう」と叔父への短いメッセージがあった。それを見たときは、母の苦労が偲ばれるとともに、体の不自由な弟をなんとか送り出した安堵のようなものを私は勝手に想像したバカ娘だが、今、叔父の何枚もの写真を見て思うのは、母は単純に弟を愛していたのだろうなということだ。ただただ、かわいい弟だったのだろう。そう思った。

65165849_10156137558571594_2294149097461907456_n

一気に書いたので、また少し修正するかもしれない。

20180824 『犬(きみ)がいるから』発売日

一年程前からWebマガジンとして連載していた『犬(きみ)がいるから』(亜紀書房)が一冊の本となり、本日発売になります。

亜紀書房Webマガジン『あき地』から原稿依頼を頂いた時、ハリーはまだ生後六ヶ月の子犬でした。最もやんちゃだった時期で、そのハチャメチャなイタズラっぷりはとにかくすごくて、「今だったらいくらでも書ける気がしますッ!」と、鼻息も荒く、ウッキウキで担当編集者さんに返信したのを記憶しています。
IMG_1054.JPG

この一年でハリーは大きく成長しました。温厚で甘えん坊な性格はそのままで、力強く、立派で、堂々とした成犬となってくれました。誰にも優しく、楽しい犬です。この一年、様々なできごとがありましたが、ハリーが一緒にいてくれたことは、本当に幸運であったと思っています。
IMG_1764

巻末には「ハリーのいる日々 あとがきに代えて」という書き下ろしが15ページほど掲載されています。また、未公開写真も。

以下、書影です。どうぞよろしくお願いいたします。
39973359_10155515687666594_6204237502119673856_n

39974406_10155515687546594_3680256973707673600_n

20180812 雑記 夏の終わりのいろいろなこと

今日は用事があって守山市へ。
途中、ワインショップのアズールブルーに立ち寄った。クーラーがめちゃくちゃ効いていて(常に14度に設定しているそうだ)、とっても快適。店主の男性もとても感じがよくて、楽しい買い物だった。2000円~3000円のワインが多かったように思う。私自身はもう飲めなくなったけれど、まあ、買うことは楽しい。仕事のストレスは散財でしか発散できない。角打ちができるらしく、ワイングラスが並んでいた。一杯500円から。近所にあったら相当楽しい店だろう。
39032319_10155492558821594_608941270680731648_n

そのアズールブルーの店主が、大津市に新しいビール醸造所ができたと教えてくれて、帰り道だったので立ち寄ってみた。

38921010_10155492558706594_5587844544784760832_n
店は開いていたものの、瓶詰めできていないそうで、テイクアウト(大きめのプラスチックのカップになみなみと注いだ状態)ならできるということだったが、私は飲めないし(しつこい)、夫は運転しているので、残念ながら購入できず。店はこじんまりとしてかわいらしく、清潔で、カウンター数席とボックス席がひとつあったように思う。ちょっとしたおつまみも出すようだ。こちらもクーラーが効いていて、とても快適だった。近くのショップに瓶に詰めたものが売っているということだったので、立ち寄って、残っていた2本を無事購入してきた。ついでにスイカなども買う。
これだけでどっと疲れた。今年の夏の暑さは応えるね……。病み上がりにはキツいよ……。

さて、8月24日に発売の迫った『犬(きみ)がいるから』(亜紀書房)のイベントが次々と決まり、わくわくが止まらない。最初は、東京一回(神保町三省堂本店)、京都一回(恵文社一乗寺店)ということだったが、本当にうれしいことに東京は二回開催に増え(八重洲ブックセンターで16日)、もしかしたら関西も増えるかもしれない(大阪がイイネ!)。校閲者の牟田都子さん、そして編集者でライターの青山ゆみこさんという、大変豪華なお二人が登壇者として参加して下さることも、大変光栄なこと(お二人のファンだし!)。また、9月15日には森信太郎さんを励ます会(イベントタイトルは変わると思うが)がCCCメディアハウスで行われる。こちらにも私は登壇します。森さんとは初対面。とても楽しみです。

こんな感じで、次々と夏の終わり頃のイベントが決まり、私はとにかく、(もう元気ではあるけれど)、体調を崩さないように、また東京で電池が切れないようにがんばる所存であります。鍛えておかねばならないな……。主治医の先生によると、とっても状態はいいとのこと(プラン通りだそうです。ビーム強い)。それを信じて、体調管理がんばります。

そんなこんなで、色々と動きがありますが、みなさんにお会いできることをとても楽しみにしています。そうそう、Webでも考える人連載の『村井さんちの生活』特別編『心臓へたっちゃってますけど大丈夫』ですが、最終回が明日公開です。とうとう最終回ですよ。なんだか長かったな。ずっと読んで下さっているみなさん、本当にありがとうございました。こちらもどうぞよろしくお願いします。

20180809 雑記 

new2

昨日は丸一日外出していた(そして力尽き、今日は一日使い物にならなかった)。用事があって、JRと京阪を乗り継いで、息子たちと街から街へと大移動した。大津から京都、そしてまた大津。移動も楽になったものだ。ICOCAを一枚ずつ与えておけば、なんでも自分たちでやってしまう。

歩くのが極端に遅かったり、左右に分かれて走って突然消えたりする幼き頃の双子との外出は苦でしかなかったが、今となっては、私の方が置いてけぼりをくっている。息子たちはスタスタと前を行く。こんなシーンを四十代で経験しようとは夢にも思わなかった(もっとずっと後かと思っていた)。しかし、二人の成長を止めることはできない。こうやって二人はスタスタと前を行き、私は段々と後退するのだろう。

幼い子どもの育児まっただ中だと見えないものは、中盤を超えたあたりからすべて見えるようになってくる。親も10年以上やっていると、まあ、一応、なんとか体裁だけは整えられてくるようだ。アマがセミプロぐらいにはなれる。セミプロぐらいになった今は、プロの世界の厳しさを肌で感じている。

周りを見れば、完璧に見える親ばかりだ。私にはとてもじゃないけれど出来ないことを、しっかりとやっている。なにより私を驚かせ、同時に落胆させるのは、彼らの忍耐力だ。本当に気長に、忍耐強く子どもと付き合っている。それを最も問われるのが育児であることはわかっているし、同時に、私にはその力がないこともわかっている。皆無っていうやつだ。だから、時々酷く落胆する。

何を書きたかったかというと、12歳になった双子を前にして、私の育児は正しかったのかと最近考えるようになったということだ。正しくなかったとしても、こうなったらなりふり構わず突っ走るしかないのだが、いやしかし、本当に大丈夫だろうか、悩む……(忍耐力がないから5分ぐらい)。

そして悩んだ時は、必ず本やマンガに逃げる。もうそんなことを10年以上やっている。今日も一日そんなことをやっていた。そしてこうやって夏休みは終わっていくのだ。一ヶ月ぐらい前は「小学生最後の夏休みだから思い出いっぱい作ろうね!」とかキラキラした目で言っていた私が、今日は死んだ魚の目でマンガを読みふけっていた。
arrow

 

 

20180804 雑記 ホルター心電図など

先日、24時間、ホルター心電図をつけた。不整脈が出ていなかったら、薬の量が減るらしい。手術のために滋賀医科大学に入院している時は、十日間ぐらい、管とかコードとか機械とか点滴をぶら下げっぱなしだったのだけれど、すべて外れてからしばらく経過した今となっては、ホルター心電図の本当に小さな機械が精神的に負担だった。私はどうも、体を拘束されることが極端に苦手らしい。ホルター心電図を体に巻き付けておく幅3センチほどのベルトの存在に耐えることができなかった(耐えられなかったので、腰から外して手に持っていた)。たぶん、指に糸を巻き付けるだけでも、24時間と言われたら負担で仕方ないだろうと思う。

地獄のような24時間が終わり、ふと、私みたいに先天性の心疾患(部分肺静脈還流異常)があって(手術済みで)、その上、僧帽弁閉鎖不全症になったというスーパーアンラッキーな人っているのかなあと思っていろいろな文章を読んでみた。実際のところ、世の中には開胸手術を複数回やっている人って結構いる。みんなすごい(小さな子どももいる)。私のケースなんて、アンラッキーというわけでもなかった(のかもしれない)。むしろ、必要な時に必要な処置を施してもらえたラッキーなケースだったのではと思いはじめた。

そんなこんなで、最近は心臓病の闘病記をよく読んでいる。心臓の手術というと、患者からすれば大事(おおごと)なのだけれど、技術的側面から言えば(私が言うなって感じだけどさ)、もしかして、そんなにたいしたことなんじゃなかったんでないかい……?

いやいやいや、高い技術が必要でなかったという意味では決してなく、スーパードクターである先生からしたら、ちょちょいのちょいという感じだったのではないかい?、つか、きっとそうだと思う。何が言いたいのかというと、そこまで大げさに考えなくてもいいんだよと自分に言いたいのだ。

手術してくれた先生は、私に、「もう大丈夫だ」と何度も何度も言ってくれた。手術から三ヶ月経過して、とにかく体調がよく、新しい人生を得たような気持ちになっている。生まれてはじめてまともに動く心臓を得た今は、以前とはまったく違った人生を歩んでいるような気がしている。

arrow

20180723 雑記 ケリーという名の少年 

お酒を飲まなくなったので、今までお酒に使っていた(私からすると)結構な金額を貯蓄しようと思ったんだけど、私がそんなこと出来るはずもなく、次から次へと本を買ってしまう。積めば積むほど、もっと積めるんじゃないかと買ってしまう。

いやいやいや、何か他にあるやろ、何か本以外に使ってもいいんじゃないかと思って、興味のあるクラウドファンディングに協力したり、災害があったので必要な場所にと思って寄付をしたりやってみたのだけれど、もう少し長期的に何かできないかと考えて、チャイルド・スポンサーに申し込んでみた。

どこの国かも、性別もわからない状態だったのだけれど、しばらくして届いた書類には、息子たちと同い年のケリーという少年の写真が同封されていた。ルワンダに住んでいる。お父さんは亡くなっていて、お母さんと二人暮らしだそうだ。今度、手紙を書いてみようと思う。シールや写真を同封すると喜んでくれるらしい。なんだか少しドキドキしている(不整脈ではない)。

arrow

20180722 雑記 日曜日はがんばれない

書かなければならないことがあって、朝からパソコンの前に座っている。ファイルを開いてあとは打ち込むだけでいいのだが、まだ一文字も打ち込むことができていない。なんということだ。朝からここに座ってずっと書こう書こうと思っているというのに……。全然進まない……。

仕方が無いので、エクササイズ的な意味でブログを更新することにした。

いつまで病気のこと書いてんだよ、いいかげんしつこいよ、あんたの病気はもういいさと言われそうなんだけど、自分でも嫌になるほど、頭の中が殆どそれで埋まっているので、申し訳ないのですが、ちょっとだけおつきあいください。嫌だったらここで読むのをやめてバブのお風呂に入って下さい。

それで何を書きたいのかというと、今日は突然、ものすごく妙な気分になってしまった、そのことを書きたかった。何が原因で、なぜ急にそんな気分になったかというと、今年のはじめに救急病棟に入院していたときのことを思い出したのだ。窓からぼんやり眺めた「東横イン」のブルーのネオンがフラッシュバックした。ああああ……

救急病棟を出て、最初に入った大部屋のカーテンのしみ、部屋の隅に置かれたテレビ台、ぼんやりとした明かり。いきなり話しかけてくるオバチャン、尿量を競ったカズオさん、部屋に突撃してくる認知症のタイゾウさん、病室の窓から見た景色、お寺の屋根に積もった雪。

そんなことがすべて思い出されて、なぜだか突然寂しくなった。今も、今、まさにこの時も、あそこには多くの患者さんが入院しているのだと思うと、どうにもこうにも落ち着かない。あの暗い廊下の隅に置かれた応接セットの古めかしさも、ボロボロの雑誌も、ああ、もうすべてが、あそこにあるすべてが、私の今に繋がっているのか……。

私はいつまでこのような気持ちを引きずっていくんだろう。あの空間で、同じ時を過ごした多くの患者さんたちの人生がいまどうなっているのか、知りたい気持ちがじわじわと湧いてきている(決して興味本位というわけではないのだけれど)。

……自分のことだけ心配してろと言いたい。

arrow

2018/07/21 雑記

そろそろツイッターを引退しようと決意してから5年ほど経過し、2年ほど前からは「今年こそブログにシフトするからよろしくお願いします」と言い続けていましたが、更新が4ヶ月ぶりになりました。

去年の末頃から今年前半は、自分史上最もアップダウンが激しい時期で、それについては、迷惑ではと心配になるほど長い文章を書かせて頂いているので、読んで下さっているかたもおられると思いますが(ありがとうございます)、入退院を繰り返していました。

それで、実は手術前後に何通かメールを頂いています。同じ病院で手術をされた方、今現在手術を検討されている方、などです。私は医師ではないし心臓病に関する知識もないので、専門的なことは当然書けません。でも、すべて読んでいます。まとめてここでお返事という意味ではなく、個別で書くことも難しいなと思ったので、ここで思うことを書きます。

まず、同じ病院で入院をし、手術をされた数名の患者さん。メールだけではなく、ツイッターを経由したり、フェイスブックを経由したりといった形でメッセージを頂いています。あの場所で、同じような時間を共有したみなさんが、苦しかったはずの治療を思い出すことになるにも関わらず、楽しく読んで下さっているということは、大変ありがたいことだと思います。そして、今、みなさんがお元気であるという事実に感動すらしています。

私自身も、そもそも脳天気な性格ではあると自認していますが、自分が病人であったこともすっかり忘れる勢いで暮らしています。そりゃあ、スーパーウーマンでもあるまいし、朝からランニングなんてことはできませんし、やってみたこともないですが、それでも、あくまで普通に暮らすことができています。幼少期にも手術は経験していますが(それも別の心疾患でな。運が悪すぎるやろ)、その後の数年の不調は一体なんだったのだというほど、現在は痛みもなく、元気です。現代医療、すげえ。

普通に考えてみれば、地獄であったのかもしれないこの半年の経験が、すっかり脳内から消えかかっているのが不思議で仕方がないのです。忘れないために書いているようなものだなと思います。この経験で何を学んだのかと問われれば、「空気はうめえ」、「健康は大事」でしょうか。しかしこの「健康」の裏側には、常に「死」が鎮座しているということもはっきりと理解しました。人間はいつ死ぬかわからない。ギリギリの場所にいる。これだけ体調が回復し、スキップせずにはおられないほどうれしさがこみ上げてくる毎日であっても、それでも心のどこかにはべったりと「死」がまとわりついています。ただし、この認識は私のこれからの人生にとって、マイナスではないでしょう。

そして、今現在手術を検討されている方。私の場合、選択肢は無くてdead or aliveだったうえに楽天家なので参考にはならないと思いますが、手術の恐ろしさは、その後に得た喜びに比べたらわずかなものでした。なにせ、寝て起きたら全部終わってたから。でも、これもあくまでも私個人の見解です。

最近よく、「この数年は頑張りすぎてしまったんじゃないですか」と言われることがあります。確かに、けっこうな量の仕事をしていました。しかし、この数年で依頼していただいていたそれらの仕事を、辞退することができただろうかと考えると、まさか、と思わずにはいられないのです。そんなに悔しいことが、自分にできただろうかと。これだけ仕事に貪欲な私が? これだけ負けず嫌いな私が?

訳したいものは訳したかった。
書きたいものは思いっきり書きたかった。それだけのことだろうと思います。

しかし、そのために多くのみなさんにご迷惑をおかけしたことも重々承知しています。申し訳なかったと思っています。そもそも自分の中に存在しなかった選択肢の先を想像して悔やんでも取り返しはつかず、何もすることはできない。これからゆっくりと、再び積み上げていくしかない。今、考えられるのはそんなことです。

先日、「いつ死ぬかわからんので、ハードディスクの中身は常に整理しておくべきである」との志を新たにして、過去10年分ぐらいの写真やテキストを整理しました。今まで見ようともしなかった写真を眺めていると、私はずっとがんばってきたではないか、なにひとつ後悔などないと思え、昔のテキストを読めば、こんなに下手な文章を公開していただなんて死んでしまいたいと机に頭を打ちつけずにはいられなかったのでした。

37221758_1713268502105448_8737414221232340992_n (1)犬よ。おれの犬よ。何があってもお前が大好きだ。

arrow

 

近況 20180418

hamburger

年明け早々体調を崩し入院、そして退院、再入院、手術、退院と、怒濤のような日々を送り、気づけばもう四月、息子たちは進級し、新年度が始まっている。

あまりの急展開に自分自身の理解が一切ついていくことが出来ていないのだけれど、私のデスク上にある薬箱の中にずらりと並んだ11種の薬を見れば、私が手術をしたことは、嫌でも理解できてくる。その11種の中のいくつかは、今後飲む必要がなくなるものだけれど、基本的に、私は死ぬまで薬を飲み続けることになるらしい。こればかりは仕方ない。

先日も、あまりの急な展開に、主治医と顔を見合わせて笑ってしまった。

「怒濤でしたよね」

「本当にあっという間でした」

と、クスクス笑い合うことができたのは、実はとてもラッキーなことだと思う。

一回目の入院については、新潮社のWebでも考える人で連載中の「村井さんちの生活」において、番外編「突然の入院騒ぎ」として書かせて頂いた。今回の入院・手術に関しても、同じくWebでも考える人の番外編で書かせて頂くことになっている。

手術編・第一回目の更新は19日(木)。つまり、明日

最近、僧帽弁閉鎖不全症で手術を受けるかどうか悩まれている方からメールを頂く機会が増えた。私は医師ではないので、当然ながらアドバイスなどできない。でも、経験したことは書くことができる。開胸手術っていうのは、やはり想像以上に大変なことで、それも生涯で二回もやるなんてどれだけアンラッキーなんだよと自分でも思うし、それなりに苦労したのだけれど、今こうやって、元気で、このように文章を書くことができているということ。この事実は、しっかりと私の中にある。そこを書きたいと思っています。

上記以外の仕事では、亜紀書房ウェブマガジンあき地にて連載中の「犬(きみ)がいるから」も無事再始動することができた。今月から月に二回の更新に戻る。引き続き、私とハリーの訓練の日々を読んで頂ければとてもうれしい。

月刊誌その他にも寄稿をはじめている。そちらも追々お知らせします。また、翻訳の仕事も徐々にスタートさせている。

一回目の入院直前に訳していた『オレンジ・イズ・ニュー・ブラック 女子刑務所での13ヵ月』も、25日に出版となる(Amazonではなか見!検索できますから是非読んでみて!!)。Netflixですでに世界的なヒットとなっている同ドラマの原作で、ドラマに比べ、書き手パイパー・カーマンの心情がより詳細に綴られている。

著者パイパーの文章は切れ味鋭くて私は大好きだ。一緒に訳して下さった安達眞弓さんも、きっと同じ意見をお持ちだろうと思う。ちなみにパイパーの夫であるラリー・スミスは、あの6 words momoirsの提唱者(発案者? スミスマガジンのファウンダーの一人)。ラリーって本当にいい人で、本当に優しくて素敵。それは本書を読んでいただければよくわかると思う。かわいいので、動画を貼っておこう。

宣伝ばかりで申し訳ないですが、私は元気に復活しています。まだ痛みが出たり、体力が無かったり、階段をのぼるのに苦労したりはするけれど、それでも術前に比べたら嘘みたいに元気です。

以上、報告でした。

bones