休校DAY40+兄の終い補稿

40日か……。思春期の男児2人と40日の軟禁状態はツライ。しかし、今回ばかりは耐えねばなるまい。そう唇を噛みしめ、日々暮らしている。

 思春期の子どもが厄介なのは世界中どこでも同じだと思うので、今更何をとは思うのだが、Aと言えば、それは親の勝手であって俺としてはBだとゴネられ、それは間違っていると指摘すると、俺には受け入れられないと突っぱねられる。あげくの果てに、俺はもうすべてを諦めたい的な、なんだか反応しづらいことを言われたりする。本当に甘いわ。全然わかってない。人生なんてそんなものじゃない。そうやってゴネればいいと思っていたら、将来苦労するぞ……そんな親の心の叫びなんて、子どもにはまったく届かない。どれだけ届かないかというと、『やぎさんゆうびん』レベルで届かない。

 子どもは、無自覚だとは思うが、親の弱点を知っている。もちろん、悪いところもすべてわかっている。だから、親がどうしても折れないとわかると、最後の一手を放ってくる。ここで動揺するか、それともがっつり正面から受け止めるのか、親は常に試されている(ような気がしている)。

 なぜこんなにもしんどいことをしなくてはいけないのか。親はひとつも間違ってはいけないのか(これ、本当にいつも考えている。間違っちゃうに決まってんじゃん)。「親は完璧であることなんて求められていない」とそこらじゅうの育児書で書かれているのを見るが、実際に子どもから求められるのは、完璧な親としての姿なんじゃないか……。つらすぎ……

 子どもがまだ幼いころ、これだけ大切に育てても、2人はきっと将来、私を疎み、避け、去っていくのだろうと信じて疑わなかった。この考えは、つい数年前まで根強く私のなかに残っていたように思う。なぜなら、私自身がそうだったからだ。ちゃんと育ててもらったはずなのに、私は母を疎ましく思い、かわいがってもらったはずなのに、兄を嫌い、故郷を離れた。私は兄に対して「あなたのことが好きではない」という態度を、徹底的に貫き通した。いつ何時でも、私が兄に対して本心を明かすことはなかったし、兄との間に距離を取ろうと必死だった。

 私に避けられていたことを、兄もちゃんとわかっていたと思う。しかし兄は、私が重荷に感じるほど、妹である私のことが大好きだという態度を貫き通した。それは亡くなるその瞬間までそうだったはずだ。

晩ご飯:キムチ鍋。キムチ、豆苗、ニラ、豆腐、ラーメン、豚肉、ほうれん草。

休校DAY 39+兄の終い補稿

いやはや。こうなったら完全に家に籠もることに徹しようと、家のレイアウトを少し変えてみた。私が仕事をするときにある程度静かにしてもらえるように、ソファ(として使用しているスモールサイズのマットレス+DIYで作った木製の台with車輪のこと。まあ、手作りのソファベッド的なものだ。これ、自分で言うのもなんだけど、本当に素晴らしいアイデアで、充分な奥行きのあるソファとしても、そして座るのに飽きたら普通に寝ることができるベッドとしても、わが家で大活躍している。壁に沿って設置している。フワフワのまくらを背もたれとして使用している。カバーはリネンのラグ的なものを使っている。犬や人間がいろいろと汚いものをこぼしても、すぐに洗って交換できる。天才かもしれないな、俺は)の並べ方を変えて、なんちゃってシアター的な部屋を作った。そこからハリーが寝る姿を生配信できるかもしれない(うそ)。

 子どもたちだが、塾も休みになってしまうため、ちょっと困ったことになっている。学校から宿題は出されているが、それではちょっと不安なので、教科書準拠の参考書を買おうかと思ったら……なんと、けっこう売れているようで、発送が遅い。時期的なこともそうだけれど、コロナ渦もあって、親御さんたちも試行錯誤されているのでは、なーんてことを考えた。そんなにしっかりは勉強できないかもしれないけれど、2年生の教科書をさっと読むぐらいは、ねえ……。親はいろいろ考えてはいるものの、当の子どもたちは突然の休みにウキウキが止まらない様子だ。子どもはそれでいいのだろうとも思う。私が中2のときにこんなことが起きていたら……大喜びで赤川次郎先生を読みまくっていたと思います。当然、勉強なんてしません。

 なんか、補稿ばっかり書いてるじゃんと思う。書き足りなかったのかよとか思う。いや、そんなこともないのだけれど、出版されてからというもの、いろいろな情報が私のもとに届きはじめ、びっくりしているのだ。母方の叔母(母の妹)も読んでくれたようで、兄の冷蔵庫の記述で涙が止まらなかったそうだ。ああ、それはわかるなと思った。私も、あれを見たときは、息が止まるほどの衝撃だった。

 多賀城から戻って、あっという間に5ヶ月ほど経ったけれど、あれ以来、嫌なクセがついてしまって困っている。自分が感じる幸せから、兄が感じるはずだった幸せを引くようになってしまった。あの人はこれを見ることができないのだ、これを感じることは二度とないのだと思うと、私の頭を満たしていた幸福が、一瞬にして目減りする。これはいつまで続くのだろう。こんな思いを私にさせているなんて本当に兄はひどいと思うが、兄のアパートの大家さんの言葉を借りるなら、しかたねえ! 死んじゃったものはしかたねえ!! だよね!

夕ご飯:豆苗と豆腐と白身魚のなべ。鍋ばかりだよ。

休校DAY 35-38+兄の終い補稿

週明けからの休校(5/6日まで)が決定した。こんなことになるとは、本当に夢にも思っていなかった……。果たして子どもたちは、5月以降、ちゃんと学校に戻ることができるのだろうか。勉強なんてぜんっぜんやってない(塾以外)。そして頼みの綱(?)だった塾からも、4月は完全に休校になるとの連絡があった。どこも大変だ。そして私は子どもの学校復帰に対応できるのだろうか。仕事はあまりはかどらない。そわそわした日々を送っている。

 そんなこんなの私なのだが、今日はちょっとびっくりしたことがあった。スーパーでNO密を合い言葉に買い物していたらfacebook宛てにメッセージが届き、見慣れないアイコンに気づき、ふと見たら、なんと『兄の終い』の登場人物の方だった!! 読んで下さったらしい。すんごくびっくりして、手に持っていた豆苗(とうみょう)を落としそうになった。びっくりして、そして感激した。こんなことがあるんだ! 本当に驚いた。さっそく加奈子ちゃんに報告して、一緒に盛り上がった。

 うれしいね! みんな読んでくれてるね! りょうちゃんの担任の先生なんて、みんなにオススメするって言ってくれてるんだよ! ……加奈子ちゃんも大喜びだ。私も、うれしい。

 「ネット上のみなさんの感想読むとさ、兄ちゃんの評価が微妙に上がってきているのを感じるんだよね、私は……本当は悪い人じゃなかったんじゃないかなみたいな、そういう優しい言葉が多くて、なんだかありがたいね~と思いつつ、不思議な気持ち」と加奈子ちゃんに書いた。

 すると、加奈子ちゃんはすぐに返事をくれた。「本のなかでは理子ちゃんの目線の兄だけれど、彼は地元ではみんなに好かれていたよ! 後輩の面倒見もよくて同級生や先輩とのつきあいもよかったし。親族以外の人にお金を借りたことは一度もなかったよ(見栄っ張りだし)。面白くて、女の人をいい気分にさせるのが上手だったから、すごくモテてたみたいだしね。理子ちゃんは知らないことが多いかも! 誰に対しても偏見や差別なく、友達が多い人だった。これもいつか書いてね」ということだった。ということで、書きました。

 「あの人、本が大好きだったから、喜んだだろうね~!」とも、加奈子ちゃんは書いていた。

 悲しい。私は本当に、兄のことを何も知らなかった。

休校DAY 32-34+『兄の終い』補稿

ため息が出るようなニュースばかりだ。先日も書いたことだけれど、突然はじまった休校の様子を綴ろうと思って書きはじめたときは、1ヶ月後にこんなことになるなんて夢にも思っていなかった。それこそ、数週間経過すれば日常がある程度は戻ってくると思っていた。しかし! 現実は報道されているとおりで、えらいこっちゃになっている。近しい人が体調を崩している。じわじわと広がってきているのが実感としてわかる(体調を崩しているみなさん、どうぞお大事にしてください)。

 休校は本日で34日目を迎え、今日の時点では、予定通り登校がはじまりそうな雰囲気である(滋賀県)。しかし、本当に大丈夫なのだろうか。東京では感染者数がどんどん増えている。楽天家の私でも、さすがに不安になってくる。本当に登校させていいのだろうか。明日非常事態宣言が予定通り出たとしたら、また状況は変わるのだろうか。子どもたちにとっては、長い休みは楽しいことのようだが、親からすると大変なことも多い。しかし、そんな気持ちよりも何よりも、感染拡大が心配だ。そんなこんなでなかなか落ち着かない日々を過ごしている。

 さて、表題にもある『兄の終い』補稿的なものを少し書こうと思う。

 出版されてから親戚の間でも話題になったみたいで、読んでくれている人もいるみたいだ。感想は聞いていないけれど、登場人物である加奈子ちゃんは2回も読んでくれたらしい。加奈子ちゃんも、だいたい私と同じような気持ちで5日間を過ごしていたようだ。

 加奈子ちゃんと初めて会ったのは、兄と彼女の結婚式のときだったと思う。神社だった。本当にかわいくて、白無垢がよく似合っていた。私はぼんやりと、「なんで兄と結婚したかなあ~」と思っていたし、彼女のお父さんに、「お父さん、申し訳ありません」となぜだか謝罪した記憶がある。その後、パーティーのようなものがあって、加奈子ちゃんに直接、一体兄のどこがよかったのかと聞いた記憶もある。超失礼だろ、それ。自分でもびっくりするわ。でも、聞いた記憶がある。加奈子ちゃんは、すごくやさしいんですよと答えた。でも、やさしかったのは加奈子ちゃんの方だよと今は思う。

 兄が亡くなってから、いろいろと兄の周辺を調べた。多賀城では、たぶん友人はひとりもいなかったと思う。頼れる人は当然いなかったはずだ。故郷の知人とは、頻繁にメールで連絡を取り合っていたようだが、一方的なものが多かった。兄は超ハイパーな人で、溢れる(なんだかよくわからん強烈な)パワーを制御できないときがあった。そんな感じで一方的にメールを出していたのだと思う。加奈子ちゃんは、私はママ友とか理解ある職場の同僚との関係に恵まれたからやってこれたけど、あの人には頼れる人なんて誰もいなかったんじゃないかと思いますと言っていた。私もそう思う。

 兄はツイッターのアカウントを持っていた。私はフォローされていなかった。つぶやきはゼロ。いくつか、ゲーム関連のアカウントをフォローしていたけれど、たぶん、読むだけだったんだろう。私も兄がフォローしていたアカウントを全部フォローした。兄が見ていた風景を見てみようと思ったのだが、見ても全然ピンとこない。やっぱり私は兄が理解できない。

 Facebookのアカウントも持っていて、こちらはひとつだけ投稿があった。良一くんの写真が一枚と、「かわいい息子」と、短い文が添えられていた。だれもいいね! をしていなかった。

 兄のアカウントは一体いつまでああやって存在し続けるのだろう。写真のなかの良一君は、いまよりもずいぶん幼いというのに。

夕ご飯:白身魚と水菜とうどんの鍋。

休校DAY 31

さきほど報道で、滋賀県内の小中高は予定通り学校再開だと知った。正直、びっくりだ。そりゃ学校には行って欲しいんだけど、いやいや、感染拡大はこれからが本番なんじゃないの? と、疑問に思ったからだ。部活もじわじわはじまっていて、子どもたちも長い休校で暇を持て余し、集まりはじめている。大丈夫かな……と、心配性の私は考えてしまう。だだだ、大丈夫なのでしょうか……。

 さて、休校がはじまって31日である。ここにきて、いつも通りに何もかもできないことへのイライラが募り、子どもと衝突するようになってきた(文面まで暗い)。特に、私に性格がそっくりで口調も同じだといわれている次男と、なんだかんだとぶつかるようになった。次男は、とても明るくて素直な、ギラギラ光る太陽のような子だと思うのだが、とにかく性格が激しい。だから、私とよくぶつかる。今日も学校の先生からちょっとしたことで電話が入り、私が、もう中学2年生なんだから、いい加減にしてくれと注意をしていた。するとそれを聞いていた長男が、iPadとヘッドフォンを手に持ち、すっと部屋から出ていった。長男はいつもそうだ。もめ事を嫌う。私と次男が言い争いになると、彼は何も言わずに、その場から離れてしまう。耐えられないのだと思う。つらいのだと思う。こういう瞬間が、私にはとても堪える。去って行く長男の細身の後ろ姿を見ると、可哀想でたまらなくなる。だったら言い争うなということなのだが、そこで自分を止められないのが育児の難しさなのだろうか。

 さて、話題は変わって、同じ日に、同じ版元から発売となった鈴木智彦さんの『ヤクザときどきピアノ』だ。私は2回目を読んでいるところ。熱い筆致に感激する(そしてときおり爆笑)。鈴木さんとは何度かお会いする機会があり(一度はイベントの司会をして頂いたこともある)、今回も発売日が同じ、担当編集者が同じということもあり、勝手に姉妹本ではないかと思っている。読者の方にはセットで買って頂いている様子もあり、ありがたいことだなと思う。

 その鈴木さんが、自著のための補稿(鈴木智彦)というブログを書いていらっしゃって、それがなかなかどうして、本と同じぐらい面白いので読んでしまう。読者のみなさんにとっては、執筆のバックグラウンドが読めることは楽しいことなのかなと想像する(私が読んでいて楽しいので)。いわゆるスピンオフということだろう。

 そこで、鈴木さんを真似して、私も少しずつ書いてみようと思いはじめた。『兄の終い』のことだ。

 インターネット上に感想を書いて頂くことは、著者にとっては本当にうれしいことだ(もちろん怖いことでもある)。だから、ごめんなさいと思いつつもエゴサして、感想を見つけてはゲリラ的にリプライをつけてしまったりする。すいません。そんな読者のみなさんの感想を読んでいて、気づいたことがある。兄側の立場として読んでくれている方が多いのだ。

 『兄の終い』を猛然と書きながら、私が思い続けていたことは、兄と私の間にはなんの差もないということだった。私がこれから兄側に行くことも十分考えられる。私が孤独死する可能性もある。兄と私は同じ両親のもと、同じ環境で育ってきた、いわゆる同じチームのメンバーだ。兄のことは長年見てきたが、転落していくきっかけというものは、些細なことだったと思う。だから、私は常に、私が兄側にいかなかったのは、偶然に過ぎないと思ってきた。そして兄が亡くなったいま、それを確信している。そしてもう一つ確信しているのは、兄が私側だったら、きっと私を助けただろうということだ。「俺はあいつの兄ちゃんだから」と、きっと兄は精一杯の努力をしただろうと思う。そこが私と兄の違いだ。

 母と兄は、ときに間違った優しさを発揮する人たちだった。信じられないような優しさを見せた次の瞬間、頭が真っ白になるような無理難題を突きつける。そんな人たちだった。何度考えても、私があの2人とうまくいくはずはなかった。

 原稿が書き終わり、そうだ、加奈子ちゃんに許可を得るのを忘れていたと、急いで彼女にメッセージを書いた。彼女はすぐに返事をくれた。そこには、「あの人は悪いところもたくさんあったけど、それと同じぐらい、いいところもたくさんある人でした。それをすべて書いてあげて下さい」とあった。なんともいえない気持ちになった。なぜ、兄はその強烈な優しさを、自分自身に向けなかったのだろう。

夕ご飯:薄切りの豚肉、ほうれん草、うどんの鍋。



休校DAY23-30

現実があまりにも厳しいので書く気がなかなかでなくて、少しサボっている間に7日も経過していた。気持ちがそわそわして、なかなか集中することもできない。そんな大人が増えているのではないかと思う。そして、休校がはじまって、今日でとうとう1ヶ月が経過した。まるで夏休み状態だ。息子たちが何をしているのかというと、ぽつりぽつりと塾に通い、残りの時間は家にいる(これがまた、律儀にいるんだな)。部活はもちろん休止中で、スポーツ少年団なども、利用していた体育館が無期限の利用停止状態になったため、練習はできない。成長期の子どもにとって、突然与えられた1ヶ月という時間がどのような意味を持つのか、考えるとしんどいので考えないようにしている。やり遂げたことといえば、『あまちゃん』、それから『ちりとてちん』の鑑賞である。

 連日、ええ声で、

愛宕山坂~えぇ~坂~ 二十五丁目の 茶屋のかか~

と、歌っている。これが成果である。

 現在の休校措置だけれど、ニュースなどを見ていると、各地方自治体に判断はお任せみたいなことになっているような、そんな雰囲気が見て取れるのだけれど、これ、本当に学校をスタートさせて大丈夫なんでしょうか。本当に大丈夫だろうか。学校には行って欲しいけれど、もしかしたら休校はもう少し長めにしたほうがいいのかもしれないなんて考える。学校で3密なんて言ったって、そんなものできるわけがないのだ。

 休校がはじまった当初、1ヶ月後にこんなディストピアみ満載のジャパンになるとはまったく予想していなかった。恐ろしいことである。世界はほんの1ヶ月でがらりと姿を変えてしまう。まさか自分がこの時代を目撃するとは思っていなかったが、これから先、私たちの生活は否応なしに変化を強いられるのだろう。どうやって生き延びていくんだろう。いろいろと考えなくちゃならない。久々に、酒が飲みたくなった。飲まないけど。とりあえず、Zoomをインストールして設定完了させなくては(それですら、おっくうになってしまった)。

 さて、仕事のお知らせです。まずは、亜紀書房Webマガジンあき地連載中の『犬(きみ)がいるから』、更新しております。タイトルは「動物だってコロナ疲れ」。是非。ハリーはとても元気にしています。でも、やっぱり人間が多すぎてストレスみたい。

 それから、ブログをサボっている間に新刊が出ております。タイトルは『兄の終い』。昨年10月下旬に兄が東北で突然亡くなり、彼の住んでいたアパート(ハイレベルな汚部屋)の片付けとお葬式をしてきたおはなし(まさかの喪主)。

 もうすでに多くの皆さんが読んで下さり、そしてツイッター上で感想をつぶやいてくれている。本当に、本当にありがたい。書くことを一時は迷ったが、書いてよかったと思う。版元(CCCメディアハウス)の担当編集者田中嬢が、以下、モーメントでまとめてくれている。

https://twitter.com/i/events/1243371744162799616

 昨日からは、NEWSWEEK JAPANのサイトでプロローグの試し読みがスタートしている。

https://www.newsweekjapan.jp/stories/culture/2020/04/5-90.php

 私のツイッターのアカウントでも、印象深かった景色を紹介している(本文とともに)。こんな感じで。

「それにしてもなんで多賀城だったのかね。こんな縁もゆかりもない土地にさあ……いきなり東北に引っ越すって、すごく変じゃん? なんでここだったんだろう。なんで多賀城だったのかなって不思議で仕方ないよ。だって、友達だっていなかったはずなのに」#兄の終い pic.twitter.com/1d7SYpnk8l— 村井理子 (@Riko_Murai) 2020年3月31日


 多賀城市は本当にいいところだった。人が優しい。あんなことがなければ、もっともっと好きな場所になっていたかもしれない。ひとつやり残したことがある。激安スーパー、ミラックマツヤに行くことができなかった。甥っ子によると、兄がよく行っていたらしい。チラシが特徴的で、店の雰囲気もぐっとくるものがあったが、登場人物である加奈子ちゃんに拒否られたのだった。最後に塩竈、多賀城の写真を少しだけ。

休校DAY 23,24

休校がはじまって24日。困ったことになってきたなとさすがに心配になってくる。休校がはじまったばかりのときは、これはきっと数週間の話だろう、4月のはじめまでには、なんとなく丸く収まっているだろう……なんて考えていたのは、私だけではないと思う。オーバーシュートの入り口にいると報道されているのをちらちらと見ながら、長期戦も覚悟しなくちゃいけないのかなと思っている。

 とにかく、家のなかにいることしかできないのだろう。それによって収束するのであれば、落ちついて、粛々と、そうするしかないと思う。子どもたちにも言い聞かせている。これは気をつけなければいけない日々だよ、と。そして、8割の人の症状は軽いが、残りの2割は入院が必要で、全体の5%は集中治療室に入る……なんて声を聞くと、「あ、わたし、ちょっとマズイんじゃないの……?」という気持ちになってくる。心配(だって持病が)。たぶん、多くの人がそう考えているだろうと思う。

 そんな落ち着かない日々ではあるのだけれど、経済対策にまつわる報道を見ると、本気なの? と脱力してしまう。もちろん、最終案ではないだろうし、混乱しているに違いないと感じてはいるのだけれど、しかし、本当にこちらを見てくれているのだろうか。いま、このとき、困窮している人がいると想像しているのだろうか。

 躊躇しながら書くけれど、亡くなった兄のアパートにあった財布には、しわしわの千円札が2枚しか入っていなかったし、銀行口座は空っぽだった。仕事のある日を記したカレンダーに書かれた×(バツ)は、亡くなる数日前から途絶えていた。

 いろいろ調べたけれど、兄のケースはレアじゃない。兄の財布の中身を見て、本当に苦しい人は助けてくれとも言えないほど打ちのめされていることを知った。そんなことを考えて、元気の出ない一日だった……が、明日はしっかり働こう(キリッと誓う)。私にできるのは、普段通りに働き、できる限り家のなかにいることだ。

昨日の晩ご飯:ココイチ(胸焼け)

休校DAY 21, 22

休校がはじまって今日で22日だ。ニュースでは一斉開校なんて話題が流れてくるが、これは本当にそうなるのだろうか。今から感染者が増えないという保証はどこにもないと思うのだが……。もちろん、親としては開校してもらったほうがありがたいが、先の見えない状況のなかで、一抹の不安がある。まったく、とんでもないことになってしまったものだ。人口の少ない過疎地に住んでいるとなかなか実感は湧かないが、嫌な時代に生まれちゃったな……。

 さて、息子たちがどうしているかというと、今日もリラックスして楽しそうにしていた。もうすっかり休校のリズムに慣れてしまったようで、朝からウキウキだ。こういうときには双子のありがたさが身にしみる。常に横に相棒がいるっていうのはとてもいいことだ。いいことだけれど、母は今日、朝から疲労感マックスで胃が痛く、なんだか一日中眠かった。毎日ごはんを作るのにも、少しでもいいから復習しろと言うのにも疲れてしまった。こんなこと書くのはイヤだけど、やっぱり寄る年波には勝てないよなあと思う。ここに来てすっかり、中年だとか初老といった言葉が浮かぶようになった。おらも早く引退してえ……。

 子育てに正解はないというのはわかっている。しかし、もう少し正解っぽいものが見えてもいいんじゃないのかといつも思う。私は常に、不安を抱えている(子育てについて)。常に、これでいいのか、もしかしたら大きな間違いをしているのではないかと恐怖を感じている。最悪だ。

 そして今日は、新潮社『考える人』で連載している『村井さんちの生活』がアーップ!
https://kangaeruhito.jp/article/13299

 なんだかすっかり暗い話題になってしまったのだが、またもや兄のことを書いた。もうこればかりは仕方がなく、なにせ死んでしまってからというもの、そのことばかり考えてしまうのだ。私と一緒に東北を走りまわった兄の元妻も、そればかり考えてしまうと言っていた。強烈な体験しちゃったもんなぁって思う。それはグロテスクとは違う、なんて表現したらいいのかな、あのアパートのなかに残っていた兄の呼吸というか、動き、流れ、重さ……それを共有した、私、彼女、そして長女の三人しかわからない、あの強烈な何か。あの何かが私たちにひっきりなしに訴えてくるんだろう。おれはここで生きていて、そしてひとりで死んだんだよって。バカだなあ、兄ちゃん。

 原稿にも書いたけれど、私は今まで兄を避けて生きてきて、兄のことが大嫌いで仕方なかったんだけど、今となっては、私は兄のことを全然嫌いではなく、むしろ大好きだったんだろうと思う。バカだよなあ、私も。

晩ご飯:豚肉の薄切りとモヤシのポン酢ニンニク炒め、ごはん、味噌汁、温泉卵、シャウエッセン。

休校DAY 19, 20

週末、なんだかんだと忙しく、更新する時間がなかったので、2日分(土日分)まとめて。

 また新しい一週間がはじまった。新コロナウイルス感染防止のための一斉休校開始から、早くも3週間が経過したということになる。今週は登校日があるけれど、それからあとは再び春休みに入るわけだから(今のところは4月7日まで)、あと少なくとも2週間程度は休みになるわけだ。ということは、トータルで5週間だ。正直なことを書けば、私自身が子どもたちの学校生活復帰に対応できるかどうかわからない。

 学校がまたはじまると考えると、ものすごく嫌な気分になっている。私は親だというのに、気分は完全に子どもの頃に逆戻り、つまり、学校があまり好きでなかったあの頃に戻っている。ああ、学校めんどくさい。行きたくないなー(行かなくていいんだけど)。

 しかし一方で、子どもはどうかというと、そろそろ休校にもゲームにも飽きてきて(!)、友達や先生の顔が見たいと言い出している。外で会うこともあまりないし、ネット上でかろうじて繋がっているだけ。担任の先生にいたっては、まったく会うことができていない。子どもにとって担任の先生と過ごした一年は、大人が考えるものよりも、ずっとずっとずーーーーっっと、大切な時間のようだ。

 『あまちゃん』は2周目も終わりつつあり、ストーリーを追いかけるというよりも、のんさんを追いかけるフェーズに入ってきている。あまちゃん関連本を買って欲しいとせがまれ、張り切って買ったわけだが、私は自分の息子たちが、本を抱えてあれだけ喜ぶ姿をはじめて見た。本というか、写真集なんだけど。「こんな写真、ネットでは見なかったなあ」という言葉を聞いたときは、そ・れ・だ!! と思った。ネットにはない情報が、本にはありまぁす!! と興奮して言うも、無視される。

 それで、私の生活はというと、相も変わらずだ。仕事はちゃんとしている。ため息が出そうな量だけれど、最後までがんばらなくてはと思っている。

 ここ数日、ネットやテレビを見ていると、何かが違うと思うようになった。例えばだけれど、休校になって子どもが毎日いることでエンゲル係数がすっごく高くなっちゃって困るわあと愚痴ったとする。するとそれを聞いた家事の上手な人から、「シンプルで手に入れやすい食材でも、工夫をすればご馳走になりますよね」と返されたとすると、私はたぶん、そうですよね~と答えながらも、そんな言葉聞きたかったわけじゃないよなって寂しく感じるだろう。だって~、そのシンプルな食材を工夫するのは私じゃんって思うだろう。そこが大変だわって言ってるのに~。そんな場面が増えたように思う。

 口に出さなくても、人間っていうのは本当に様々なことを考えているものだ。よく知っていると思う人だって、あなたがまったく知らない一面を持っている。静かに話を聞くことで、楽になれる人はいる。こんなときだからこそ、相手の気持ちを尊重したいと思った。

この二日の晩ご飯:煮込みハンバーグ(缶のデミグラスソースとトマトソースをテケトーに混ぜたソースで煮込む)、竹の子ごはん(不人気)とかぼちゃのスープ(めいらく)。

休校DAY 18

今日、次男にはじめて、本を買って欲しいと頼まれた。今まで本屋に何度連れて行ったかわからない。本だったらいくらでも買ってあげるからと言い続けたのに、今まですっかり無視されていたが、『あまちゃん』がきっかけとなって、ついにそのひと言が出たのだ。

「あまちゃんの本を買って」 *° 。*:゜☆ヽ(*’∀’*)/☆゜:。*。 *:.。☆.パァァァァァァ

 結局、若い人、というか中学生を動かすのは恋なんだなと再確認した。私も、ドラマで見た俳優が好きで雑誌を買ったし、小説の主人公が好きになって、シリーズものの小説を読破したりしたものだった。本のなかの人なのに、確実に恋してたもんね(長谷川平蔵ね。鬼平マイラブ。それから大岡越前の大岡忠相マイラブ。それから榊原伊織を演じた竹脇無我さんは太秦映画村のトークショーで見て、二週間ほどヨレヨレになりました。美し過ぎる無我。名前からして最高。『無我』)。結局、あまちゃんの公式ファンブックと、のんさんの写真集を買った。そして息子たちは『あまちゃん』二周目に入り、二周目だからこそわかる伏線をひとつひとつ確認していた。まあ、がんばってくれたまえ。好きになった作品はとことん好きになって欲しい。

 今日は、新刊『兄の終い』の見本が届いた。とても素敵な装丁にしていただいて感謝。本っていろいろな人の助けを得て、ようやく一冊になる。だからこそ、できあがってくると感動する。内容が暗いのではと思われるかもしれないけれど、そうではないと自分では思っている。私と、兄の元妻加奈子ちゃんが、塩釜、多賀城を移動しながら、次々と難問をクリアしていった話だ。5日間という短い時間で、兄が残したすべてをどうにかして片付けた。そして、私と加奈子ちゃんは、超がつくほど仲良しになった(もしかしたら私がそう思っているだけかもしれないけど)。

 人間が突然死ぬとどうなるのかということを、延々と考えている。加奈子ちゃんもそうらしい。

 突然死ぬと、物が残る。食べ物が残る。ごみが残る。メモが残る。その残ったものから、すべてが見えてくる。料理していた姿、酔っ払って寝ていた姿、たばこを吸っていた姿、怒っていた姿。そしてなにより、倒れている姿。そんな兄の息づかいがわかるすべてを、ほんのわずかだけ残して、私がすべて処分してきた。まさかそんな役目が回ってくるとは夢にも思わなかったが、それが私でよかったと今になっては思う。

昨夜の晩ご飯:そうめん。めっちゃ寒かった。