40日か……。思春期の男児2人と40日の軟禁状態はツライ。しかし、今回ばかりは耐えねばなるまい。そう唇を噛みしめ、日々暮らしている。
思春期の子どもが厄介なのは世界中どこでも同じだと思うので、今更何をとは思うのだが、Aと言えば、それは親の勝手であって俺としてはBだとゴネられ、それは間違っていると指摘すると、俺には受け入れられないと突っぱねられる。あげくの果てに、俺はもうすべてを諦めたい的な、なんだか反応しづらいことを言われたりする。本当に甘いわ。全然わかってない。人生なんてそんなものじゃない。そうやってゴネればいいと思っていたら、将来苦労するぞ……そんな親の心の叫びなんて、子どもにはまったく届かない。どれだけ届かないかというと、『やぎさんゆうびん』レベルで届かない。
子どもは、無自覚だとは思うが、親の弱点を知っている。もちろん、悪いところもすべてわかっている。だから、親がどうしても折れないとわかると、最後の一手を放ってくる。ここで動揺するか、それともがっつり正面から受け止めるのか、親は常に試されている(ような気がしている)。
なぜこんなにもしんどいことをしなくてはいけないのか。親はひとつも間違ってはいけないのか(これ、本当にいつも考えている。間違っちゃうに決まってんじゃん)。「親は完璧であることなんて求められていない」とそこらじゅうの育児書で書かれているのを見るが、実際に子どもから求められるのは、完璧な親としての姿なんじゃないか……。つらすぎ……
子どもがまだ幼いころ、これだけ大切に育てても、2人はきっと将来、私を疎み、避け、去っていくのだろうと信じて疑わなかった。この考えは、つい数年前まで根強く私のなかに残っていたように思う。なぜなら、私自身がそうだったからだ。ちゃんと育ててもらったはずなのに、私は母を疎ましく思い、かわいがってもらったはずなのに、兄を嫌い、故郷を離れた。私は兄に対して「あなたのことが好きではない」という態度を、徹底的に貫き通した。いつ何時でも、私が兄に対して本心を明かすことはなかったし、兄との間に距離を取ろうと必死だった。
私に避けられていたことを、兄もちゃんとわかっていたと思う。しかし兄は、私が重荷に感じるほど、妹である私のことが大好きだという態度を貫き通した。それは亡くなるその瞬間までそうだったはずだ。
晩ご飯:キムチ鍋。キムチ、豆苗、ニラ、豆腐、ラーメン、豚肉、ほうれん草。