休校DAY55-56+noteはじめました。

休校が開始されて55日が経過。本日もわが家の双子は元気だ。勉強もなんとなくやっている。もう、こちらから厳しく言うことはやめた。そもそもGWだった。

まずはお知らせになってしまうが、新しい連載がはじまった。亜紀書房Webマガジンあき地で、『あんぱん ジャムパン クリームパン 青山ゆみこ・牟田都子・村井理子』の村井理子パートの担当だ。


新連載スタート
私の担当

自粛生活で不自由なこと多々あると思いますが、そんなときの気晴らしになれば。よろしくお願いいたします。

今回、私の担当から、以下、引用。

だから、私はひとりぼっち。実際には、自分の家族がいるのだからひとりぼっちじゃないのだけれど、それでも、私はひとりぼっちだなって、強く感じています。私の心の真ん中にずっと住んでいるあの家族は、静かに、ただそこにいるだけの存在になってしまいました。幸せや喜びを感じるたびに、同じように感じることができない、心の中に静かに存在しているあの人たちのことを考えます。自分の幸せのなかに、彼らを失った切なさを、悲しさを、どんどん注ぎ込むようにして暮らしています。幸せがどんどん薄くなってしまうのです。むかし、節約家のおばあちゃんが作ってくれたカルピスみたいに、すごーく薄い感じ。

これはもちろん、私の両親と兄という、私のそもそもの家族のことを書いている。自分の根っこの部分にある(いる)「家族」というものが、自分以外存在しなくなるということは、私の想像をはるかに超えるほどの衝撃だった。その衝撃とは、「取りかえしがつかない」ことを目の当たりにしたときの衝撃だ。「取りかえしがつかない」ということが、起きるとわかっているのに、私たちはそれに対してあまりにも無力だということを、身をもって知った、その衝撃だ。

「与えてあげることができない」ことの、「共有することができない」ことの、損失。しかし、その大きな穴を自分自身が覗き込むまで、その実際の大きさを、やるせなさを、誰も知ることはできない。そんなことに対する衝撃だ。いつかゆっくり考えて、書いてみたい。

ここ数十年で多くの災害を目撃し、多くの人の命が失われることを情報として得てきたけれども、その何倍も存在する家族たちの、本当の絶望のようなものは、理解していなかったと今更思う。そんなことを考えながら、漠然と書いてしまった。一人だけ暗くね? 大丈夫かな。

それからもう一つお知らせ。noteをはじめました。このブログの内容を転載するような感じだけれど、noteだと双方向のやりとりが容易なので、アカウントを作ってみました(というか、ずっと持っていたんだけど、やっと動かした)。

いろいろ書いてみるぞ

休校も長くなるし、書店も閉まってしまったので、いろいろ試行錯誤してみようと思う。

休校DAY46-54+兄の終い補稿

ままま、まさかこんなに休校が長引くとは夢にも思っていなかった!(何度書いたのか、このフレーズ) 先日、学校から連絡があり、休校が5月末まで延長されることがわかった。休校が伸びることについては、繰り返しになるが、仕方のないことだと思う。先生たちも苦労されているだろう。今の私の心境は、昨日公開になった「考える人」(新潮社)連載の『村井さんちの生活』で書かせて頂いている。是非。

https://kangaeruhito.jp/article/14007

 この休校措置がどれぐらいの長さになるものか、まったく見当もつかないし、子どもたちのこれからの人生にどのような影響を及ぼすのかも一切わからない。しかし長い人生だからこそ、この1年、2年、あるいはそれ以上になるかもしれないこの状況が、わずかでも彼らにプラスに働くことを願いたい。学校や塾の先生もきっと、様々な方法を考えてくれているはずだ。だから私は、しばし諦めることにした(すいません)。諦め、流されることをここに宣言したい。そして家にいます。自宅警備員として。

 さて、『兄の終い』補稿です。

 実は先日、多賀城市役所の方からメッセージを頂いた。『兄の終い』を読んで下さったそうだ。市役所で働く何名かの方々が、今も読んで下さっているという。本当にびっくりした。確かに、本の中にはかなり堂々と、市役所も、市役所近くの図書館も、蔦屋も出てくるのだけれど、まさか……といった感じだ。ファソン・ドゥ・ドイさん、里親さん、市役所のみなさんが読んで下さっているんだって! スゴクね? と加奈子ちゃんにメッセージを送ると、「児童相談所の担当職員さんも読んで下さったよ」とのことだった(加奈子ちゃんが本のことを知らせてくれたのだ)。「あとは塩釜署だね」と加奈子ちゃんはうれしそうだった。多賀城のみなさんが、お友達に、後輩に、家族に、同僚に、本を紹介して下さっている。ありがたいことだと思う。

 それから、読者のみなさんから愛読者カードが版元に届きはじめている。すべて読ませて頂いている。こんなに大変な時期に、書いて、そして切手を貼って出して下さったことに感謝しかない。それから、レビューも増えてきている。それも、担当編集者とともにちゃんと確認させて頂いている。読みやすい、一気に読んだという感想が多いことに感激している。原稿を書くときは、一歩も二歩も下がって、できるだけ自分の感情を排除して、客観的に、正確に、ただし、様々な方面に配慮を重ねて書いたつもりだ。初稿を書き上げてからも、何度か推敲して、随分削って落としている。なんとしてでも最後まで読んでもらいたかった。その作業が、もしかしたら実ったのかもしれないと思うと、とてもうれしい。

 兄については、様々な感情がある。そのなかで最も強いのは、やはり、兄が可哀想だなという気持ちだ。若くして突然亡くなったのが可哀想ということではなく、自分自身を大切にすることすら諦めた兄が、哀れでたまらない。自分のことをもっともっと大切にして欲しかった。それでも私がどん底まで落ち込まないのは、良一君という強い光が差しているからだ。

夕ご飯:ハンバーグ、コーンスープ、ポテトサラダ。

休校DAY45+兄の終い補稿

息子たちの先生から相次いで電話が入った。来月5月6日までの休校だけれど、その先どうなるか、わからない状況になりつつあるということだった。私たちがハリーの散歩に出たときに、家まで追加の課題を持ってきてくれていた。ポストを確認すると、たっぷり入っていた。帰宅直後に先生から電話が鳴り、次男が取った。次男はうれしそうに話をしていた。

 先生の影響力は大きい。いままで机に座らせることに苦労していたというのに、慕っている担任の先生から電話をもらった次男はたいそう喜んで、すぐさま課題を開き、「ああ、これはもう塾で習ったところや。よかったわあ、塾に通っておいて」と言っていた。こんな時期だからこそ余計に、こんな言葉をうれしく感じる。

 直後に長男の先生からも電話があった。「お母さん、本年度のPTAも継続して役員をして下さるそうで……」という内容だった。全国的に同じような感じだと思うのだけれど、新年度のPTA役員、決まりました!? 今の状況だと無理ですよね?? 私、去年広報委員長をやったんですが、今年度は役員会もすべて中止になっているので新役員の選出なんて無理すぎる。だから、もう一年やらせてもらうことにした。仕方ないよね、こんなときだから。それで、様々な作業を電話やメールで行うという話をして、電話を切った。先生も大変そうだった。

 ハリーの散歩も終わったので、コーヒーをゆっくり飲みながら空を眺めていて、ずっとずっと昔のことを思い出した。私がまだ小学生にもなっていないころの話だ。そのとき、両親はジャズ喫茶をやっていて、夜遅くまで家に戻らないことがよくあった。時折、母だけ家に戻ってきて(店からは徒歩3分ぐらいの距離に家はあった)、ごはんの支度をしたり、私たちを風呂に入れたり、寝かしつけたりしていた。兄と二人きりの家は私にとってはとても寂しく、心細くて、特に夜になると、薄暗い蛍光灯に照らされた古い家はすごく不気味で、怖くて、店にいる母に頻繁に電話をしたものだった。

 当時、両親のやっていた店はすごくはやっていて、サーファーみたいな若者でいっぱいだった。たぶん、そんな店を経営するのは楽しかったと思う。両親ともまだ30代だったから、そりゃ毎晩、飲んで音楽を聴いて、ワイワイ騒いで、楽しかったと思う。そんなところに私から何度も電話がかかってくるものだから、母は私が電話をすると、とても嫌そうにし、そして一方的に電話を切った。それを悲しむ私を見かねた兄が、私を自分の自転車の後ろに乗せて、店の前まで連れて行ってくれた。何度も、何度も。店のガラス窓の向こうはたばこの煙で真っ白で、その真っ白な煙の間に両親の顔を見つけると、私は納得して、兄の自転車の後ろに乗って、家まで戻った。

 そんなある夜、兄といつものように2人乗りをして家に戻る途中、兄がずっと向こうから自転車に乗ってやってくるお巡りさんを見つけた。兄は急いで自転車をUターンさせると、小さな飲み屋街のような場所に入っていった。薄暗くて、赤い提灯がぶら下がっているような店がたくさんあるところだ。そこの共同便所の前で私を自転車から降ろして、「兄ちゃんが戻ってくるまでここで待ってろ。絶対に動いちゃダメだぞ。いまからお巡りさんをまいてくるからさ!」と言って、ものすごい勢いで自転車を立ちこぎして、あっという間に行ってしまった。もちろん、私はそこで待ってはいられなかった。

 私は(たぶん)真っ青な顔をしてその場を離れると、兄を必死に追った。真っ暗な夜道をひたすら走った。そして、お巡りさんに呼び止められた。

 「どこの子?」 

 私がもじもじしていると、兄が猛スピードで戻ってきた。キーッ! というブレーキ音が、今でも聞こえるようだ。兄はなんだかんだとお巡りさんに説明し、ペコペコ頭を下げ、そして私を再び自転車の後ろに乗せて家に戻った。

 兄は私が二十歳ぐらいになるまで、酔っ払うと必ずこのときのことを話し、そして大笑いした。

 「あのときのお前の顔、すごく面白かったぞ!」 そう言っていた。

晩ご飯:コンビーフ、ポテトサラダ、フランスパン、ゆで卵

お知らせ:連載している「考える人」(新潮社)の編集長が、編集長のお気に入りとして『兄の終い』を紹介して下さっています。是非。

https://note.com/kangaerus/n/n90110c1821ce






休校DAY 43-44+兄の終い補稿

デンデラ率がアップしている。髪を切りに行くことができないからだ。NO密をスローガンに掲げている私は、美容院に行くことも自粛している。

滋賀のママンたち

 仕事で誰かと話をしなければならないケースでは、zoomとかSkypeに移行されていくということなんで、なんとかごまかせるだろう。顔のまわりに髪がかかるのが何より嫌いなので、ゴムを使ってギッチギチにひっつめている。そして眼鏡をかけている。楽だからという理由で米袋みたいなゆるゆるの四角いワンピースを着ている。完全にデンデラだ。なんだかもう、山に捨てられたことへの恨みを抱きそうになっている。

 外には一歩も出ることができなくなりそうで、気分が落ち込んでしまう。仕事もなかなかはかどらないし、心にモヤがかかったようになっている。家のなかにいれば、それでいいのだからと思うものの、先が見えない不安感が思いのほか強い。仕事の保障もない。こんな状況で、どうやって希望を抱けばいいのだろう……なーんて、息子たちと一緒にテレビを見ながらぼんやりと考えていたら、イケワン本の編集者のN籐さんから電話があった。N籐さんからかかってくる時は、たいがい、面白いことが起きる前触れなのだが、そんな電話だった。わはははと笑いながら話していたら、なんだか明るい気分になった。私も相当単純である。

 少しだけ補稿。先日の取材でもお話させて頂いたのだが、『兄の終い』の登場人物、兄の元妻の加奈子ちゃんには名言が多い。原稿に残すか削るか、最後の最後まで悩んだ彼女の言葉があって、それは、彼女が兄のアパートでたばこに火をつけながら言った、「あたし、ダメな大人なんで」という言葉だった。私は小さい声で、「ぜんぜんダメじゃないよ」と答えた。

 忘れられない加奈子ちゃんの言葉はまだまだある。「人を憎むのは苦しいから、私は好きじゃないんです」もそうだ。そして、いつまでも怒り続ける私に言った、「理子ちゃん、死んだ人の罪は消えます。そろそろ切り替えましょう」も忘れられない。それから車をビュンビュン飛ばしながら言った、「理子ちゃん、バックレちゃおう!」も最高だった。

晩ご飯:キムチ鍋。豚肉、豆苗三パック、その他野菜。ラーメン。

休校DAY 41-42+兄の終い補稿

休校42日目。朝から冷たい雨。私が住む地域は寒冷地で毎年4月末までストーブを使うが、今日も本当に寒くて朝からストーブはフル稼働している。雨だから外に出るのも面倒で、いや、晴れでも今は外に出るべきではないのだが、息子たちと家にじっと籠もっている。もちろん、犬も一緒だ。

 朝起きてすぐにゲームをやる息子たちを見るのにも慣れた。一旦与えたものを完全に取り上げることもできず(ゲームだけが悪者であるわけもなく)、親にできるのは、iPadの使用時間を決めて、なんとかそれを守るよう説得するぐらいである。毎日がせめぎ合い。毎日が消耗戦。泣きたい。

 子どもというのは、親が手を離せないような状況のときに限ってピンチに陥り、絶対に集中したいときに限って、親の関心を自分へ集めようとする生きものだ。例えばうちの次男なんて、私が電話で仕事の話をしているときに限って話しかけてくる。それは、私の集中が100%他にある状態のとき、私に対して言いにくいこと、頼みにくいことを投げかけ、追い払われるようにして承認を得ようとする行為だ。やめてくれよ。

 そして長男は、私が完璧に集中している時に限って、冷蔵庫を開けて、じーっと中を見る。じーっとして、何も手に取らない。お腹がすいたの? と聞くと、ビクッと反応し、いや、別に……と、逃げてしまう。食べるものぐらい勝手に持って行きなよ……と呆れると同時に、何か出してやらなくちゃと席を立つことになる。一旦途切れた集中は、しばらく戻ってこない。どれだけ戻ってこないかというと、確定申告の還付金ぐらいなかなか戻ってこない。

 ちょうどよい子育てがしたい。心穏やかに暮らしたい。うちはどうにも、いろいろなことが振り切れている。激し過ぎるのだ。

 さて、新刊『兄の終い』ですが、出版後、様々なことが起きて、びっくりするしかない状況だ。

 昨日、多賀城市にあるファソン・ドゥ・ドイさんから荷物が届いたのだ。知ってる人は知っている超有名店だが、実は、『兄の終い』のなかで、登場人物である加奈子ちゃん、私、そして良一君の3人で訪れている場所だ。えええ! どうしたんだろうと思い、袋を開けると、ケーキ(たっぷり)と焼き菓子(たっぷり)、そしてお手紙が入っていた。ドキドキしながら手紙を読んだ。『兄の終い』を読んで下さったらしい。お店の名前が出てきたからびっくりして、従業員のみなさんで大騒ぎになったらしい。そして、良一君におみやげを手渡してくれたご主人が、何冊も購入して配って下さったそうだ(市長さんにも!!)。本当にありがとうございます。心から感謝しております。こんなことが起きるとは、夢にも思っていなかった。次に多賀城に行くときは、必ずお礼にうかがいます。

 すぐに加奈子ちゃんに報告した。加奈子ちゃんも大喜びの展開だった。え~! あのお店が~! としばし盛り上がった。そして、誕生日を迎えた良一君の写真を送ってくれた。大勢の家族に囲まれた良一君が、バースデーボーイらしく、派手な飾りのついた帽子や眼鏡をかけて(HAPPY BIRTHDAYというプレートがついていた)、マカロンの乗ったかわいい誕生日ケーキに両手を添えて、はにかんで笑っていた。後ろに、お姉ちゃんが立っているのが見えた。別の写真には、おじいちゃんと、良一くんと、テーブルの上に乗った豪華な料理(たぶん手巻き寿司)が写っていた。加奈子ちゃんだと思うけれど、良一君の前に置かれた大きなグラスにコーラをたっぷり注いでいる女性の手も写っていた。良一君はずいぶん成長していた。そんな写真を見て、児童相談所の職員さんが良一君に言ってくれた言葉を思い出した。

 きみのことを、とても大事に思ってくれている人がこんなにたくさんいる。だから心配しなくていいんだよ。

 ハッピーバースデイ、良一君。またいつか会おう。

休校DAY40+兄の終い補稿

40日か……。思春期の男児2人と40日の軟禁状態はツライ。しかし、今回ばかりは耐えねばなるまい。そう唇を噛みしめ、日々暮らしている。

 思春期の子どもが厄介なのは世界中どこでも同じだと思うので、今更何をとは思うのだが、Aと言えば、それは親の勝手であって俺としてはBだとゴネられ、それは間違っていると指摘すると、俺には受け入れられないと突っぱねられる。あげくの果てに、俺はもうすべてを諦めたい的な、なんだか反応しづらいことを言われたりする。本当に甘いわ。全然わかってない。人生なんてそんなものじゃない。そうやってゴネればいいと思っていたら、将来苦労するぞ……そんな親の心の叫びなんて、子どもにはまったく届かない。どれだけ届かないかというと、『やぎさんゆうびん』レベルで届かない。

 子どもは、無自覚だとは思うが、親の弱点を知っている。もちろん、悪いところもすべてわかっている。だから、親がどうしても折れないとわかると、最後の一手を放ってくる。ここで動揺するか、それともがっつり正面から受け止めるのか、親は常に試されている(ような気がしている)。

 なぜこんなにもしんどいことをしなくてはいけないのか。親はひとつも間違ってはいけないのか(これ、本当にいつも考えている。間違っちゃうに決まってんじゃん)。「親は完璧であることなんて求められていない」とそこらじゅうの育児書で書かれているのを見るが、実際に子どもから求められるのは、完璧な親としての姿なんじゃないか……。つらすぎ……

 子どもがまだ幼いころ、これだけ大切に育てても、2人はきっと将来、私を疎み、避け、去っていくのだろうと信じて疑わなかった。この考えは、つい数年前まで根強く私のなかに残っていたように思う。なぜなら、私自身がそうだったからだ。ちゃんと育ててもらったはずなのに、私は母を疎ましく思い、かわいがってもらったはずなのに、兄を嫌い、故郷を離れた。私は兄に対して「あなたのことが好きではない」という態度を、徹底的に貫き通した。いつ何時でも、私が兄に対して本心を明かすことはなかったし、兄との間に距離を取ろうと必死だった。

 私に避けられていたことを、兄もちゃんとわかっていたと思う。しかし兄は、私が重荷に感じるほど、妹である私のことが大好きだという態度を貫き通した。それは亡くなるその瞬間までそうだったはずだ。

晩ご飯:キムチ鍋。キムチ、豆苗、ニラ、豆腐、ラーメン、豚肉、ほうれん草。

休校DAY 39+兄の終い補稿

いやはや。こうなったら完全に家に籠もることに徹しようと、家のレイアウトを少し変えてみた。私が仕事をするときにある程度静かにしてもらえるように、ソファ(として使用しているスモールサイズのマットレス+DIYで作った木製の台with車輪のこと。まあ、手作りのソファベッド的なものだ。これ、自分で言うのもなんだけど、本当に素晴らしいアイデアで、充分な奥行きのあるソファとしても、そして座るのに飽きたら普通に寝ることができるベッドとしても、わが家で大活躍している。壁に沿って設置している。フワフワのまくらを背もたれとして使用している。カバーはリネンのラグ的なものを使っている。犬や人間がいろいろと汚いものをこぼしても、すぐに洗って交換できる。天才かもしれないな、俺は)の並べ方を変えて、なんちゃってシアター的な部屋を作った。そこからハリーが寝る姿を生配信できるかもしれない(うそ)。

 子どもたちだが、塾も休みになってしまうため、ちょっと困ったことになっている。学校から宿題は出されているが、それではちょっと不安なので、教科書準拠の参考書を買おうかと思ったら……なんと、けっこう売れているようで、発送が遅い。時期的なこともそうだけれど、コロナ渦もあって、親御さんたちも試行錯誤されているのでは、なーんてことを考えた。そんなにしっかりは勉強できないかもしれないけれど、2年生の教科書をさっと読むぐらいは、ねえ……。親はいろいろ考えてはいるものの、当の子どもたちは突然の休みにウキウキが止まらない様子だ。子どもはそれでいいのだろうとも思う。私が中2のときにこんなことが起きていたら……大喜びで赤川次郎先生を読みまくっていたと思います。当然、勉強なんてしません。

 なんか、補稿ばっかり書いてるじゃんと思う。書き足りなかったのかよとか思う。いや、そんなこともないのだけれど、出版されてからというもの、いろいろな情報が私のもとに届きはじめ、びっくりしているのだ。母方の叔母(母の妹)も読んでくれたようで、兄の冷蔵庫の記述で涙が止まらなかったそうだ。ああ、それはわかるなと思った。私も、あれを見たときは、息が止まるほどの衝撃だった。

 多賀城から戻って、あっという間に5ヶ月ほど経ったけれど、あれ以来、嫌なクセがついてしまって困っている。自分が感じる幸せから、兄が感じるはずだった幸せを引くようになってしまった。あの人はこれを見ることができないのだ、これを感じることは二度とないのだと思うと、私の頭を満たしていた幸福が、一瞬にして目減りする。これはいつまで続くのだろう。こんな思いを私にさせているなんて本当に兄はひどいと思うが、兄のアパートの大家さんの言葉を借りるなら、しかたねえ! 死んじゃったものはしかたねえ!! だよね!

夕ご飯:豆苗と豆腐と白身魚のなべ。鍋ばかりだよ。

休校DAY 35-38+兄の終い補稿

週明けからの休校(5/6日まで)が決定した。こんなことになるとは、本当に夢にも思っていなかった……。果たして子どもたちは、5月以降、ちゃんと学校に戻ることができるのだろうか。勉強なんてぜんっぜんやってない(塾以外)。そして頼みの綱(?)だった塾からも、4月は完全に休校になるとの連絡があった。どこも大変だ。そして私は子どもの学校復帰に対応できるのだろうか。仕事はあまりはかどらない。そわそわした日々を送っている。

 そんなこんなの私なのだが、今日はちょっとびっくりしたことがあった。スーパーでNO密を合い言葉に買い物していたらfacebook宛てにメッセージが届き、見慣れないアイコンに気づき、ふと見たら、なんと『兄の終い』の登場人物の方だった!! 読んで下さったらしい。すんごくびっくりして、手に持っていた豆苗(とうみょう)を落としそうになった。びっくりして、そして感激した。こんなことがあるんだ! 本当に驚いた。さっそく加奈子ちゃんに報告して、一緒に盛り上がった。

 うれしいね! みんな読んでくれてるね! りょうちゃんの担任の先生なんて、みんなにオススメするって言ってくれてるんだよ! ……加奈子ちゃんも大喜びだ。私も、うれしい。

 「ネット上のみなさんの感想読むとさ、兄ちゃんの評価が微妙に上がってきているのを感じるんだよね、私は……本当は悪い人じゃなかったんじゃないかなみたいな、そういう優しい言葉が多くて、なんだかありがたいね~と思いつつ、不思議な気持ち」と加奈子ちゃんに書いた。

 すると、加奈子ちゃんはすぐに返事をくれた。「本のなかでは理子ちゃんの目線の兄だけれど、彼は地元ではみんなに好かれていたよ! 後輩の面倒見もよくて同級生や先輩とのつきあいもよかったし。親族以外の人にお金を借りたことは一度もなかったよ(見栄っ張りだし)。面白くて、女の人をいい気分にさせるのが上手だったから、すごくモテてたみたいだしね。理子ちゃんは知らないことが多いかも! 誰に対しても偏見や差別なく、友達が多い人だった。これもいつか書いてね」ということだった。ということで、書きました。

 「あの人、本が大好きだったから、喜んだだろうね~!」とも、加奈子ちゃんは書いていた。

 悲しい。私は本当に、兄のことを何も知らなかった。

休校DAY 32-34+『兄の終い』補稿

ため息が出るようなニュースばかりだ。先日も書いたことだけれど、突然はじまった休校の様子を綴ろうと思って書きはじめたときは、1ヶ月後にこんなことになるなんて夢にも思っていなかった。それこそ、数週間経過すれば日常がある程度は戻ってくると思っていた。しかし! 現実は報道されているとおりで、えらいこっちゃになっている。近しい人が体調を崩している。じわじわと広がってきているのが実感としてわかる(体調を崩しているみなさん、どうぞお大事にしてください)。

 休校は本日で34日目を迎え、今日の時点では、予定通り登校がはじまりそうな雰囲気である(滋賀県)。しかし、本当に大丈夫なのだろうか。東京では感染者数がどんどん増えている。楽天家の私でも、さすがに不安になってくる。本当に登校させていいのだろうか。明日非常事態宣言が予定通り出たとしたら、また状況は変わるのだろうか。子どもたちにとっては、長い休みは楽しいことのようだが、親からすると大変なことも多い。しかし、そんな気持ちよりも何よりも、感染拡大が心配だ。そんなこんなでなかなか落ち着かない日々を過ごしている。

 さて、表題にもある『兄の終い』補稿的なものを少し書こうと思う。

 出版されてから親戚の間でも話題になったみたいで、読んでくれている人もいるみたいだ。感想は聞いていないけれど、登場人物である加奈子ちゃんは2回も読んでくれたらしい。加奈子ちゃんも、だいたい私と同じような気持ちで5日間を過ごしていたようだ。

 加奈子ちゃんと初めて会ったのは、兄と彼女の結婚式のときだったと思う。神社だった。本当にかわいくて、白無垢がよく似合っていた。私はぼんやりと、「なんで兄と結婚したかなあ~」と思っていたし、彼女のお父さんに、「お父さん、申し訳ありません」となぜだか謝罪した記憶がある。その後、パーティーのようなものがあって、加奈子ちゃんに直接、一体兄のどこがよかったのかと聞いた記憶もある。超失礼だろ、それ。自分でもびっくりするわ。でも、聞いた記憶がある。加奈子ちゃんは、すごくやさしいんですよと答えた。でも、やさしかったのは加奈子ちゃんの方だよと今は思う。

 兄が亡くなってから、いろいろと兄の周辺を調べた。多賀城では、たぶん友人はひとりもいなかったと思う。頼れる人は当然いなかったはずだ。故郷の知人とは、頻繁にメールで連絡を取り合っていたようだが、一方的なものが多かった。兄は超ハイパーな人で、溢れる(なんだかよくわからん強烈な)パワーを制御できないときがあった。そんな感じで一方的にメールを出していたのだと思う。加奈子ちゃんは、私はママ友とか理解ある職場の同僚との関係に恵まれたからやってこれたけど、あの人には頼れる人なんて誰もいなかったんじゃないかと思いますと言っていた。私もそう思う。

 兄はツイッターのアカウントを持っていた。私はフォローされていなかった。つぶやきはゼロ。いくつか、ゲーム関連のアカウントをフォローしていたけれど、たぶん、読むだけだったんだろう。私も兄がフォローしていたアカウントを全部フォローした。兄が見ていた風景を見てみようと思ったのだが、見ても全然ピンとこない。やっぱり私は兄が理解できない。

 Facebookのアカウントも持っていて、こちらはひとつだけ投稿があった。良一くんの写真が一枚と、「かわいい息子」と、短い文が添えられていた。だれもいいね! をしていなかった。

 兄のアカウントは一体いつまでああやって存在し続けるのだろう。写真のなかの良一君は、いまよりもずいぶん幼いというのに。

夕ご飯:白身魚と水菜とうどんの鍋。

休校DAY 31

さきほど報道で、滋賀県内の小中高は予定通り学校再開だと知った。正直、びっくりだ。そりゃ学校には行って欲しいんだけど、いやいや、感染拡大はこれからが本番なんじゃないの? と、疑問に思ったからだ。部活もじわじわはじまっていて、子どもたちも長い休校で暇を持て余し、集まりはじめている。大丈夫かな……と、心配性の私は考えてしまう。だだだ、大丈夫なのでしょうか……。

 さて、休校がはじまって31日である。ここにきて、いつも通りに何もかもできないことへのイライラが募り、子どもと衝突するようになってきた(文面まで暗い)。特に、私に性格がそっくりで口調も同じだといわれている次男と、なんだかんだとぶつかるようになった。次男は、とても明るくて素直な、ギラギラ光る太陽のような子だと思うのだが、とにかく性格が激しい。だから、私とよくぶつかる。今日も学校の先生からちょっとしたことで電話が入り、私が、もう中学2年生なんだから、いい加減にしてくれと注意をしていた。するとそれを聞いていた長男が、iPadとヘッドフォンを手に持ち、すっと部屋から出ていった。長男はいつもそうだ。もめ事を嫌う。私と次男が言い争いになると、彼は何も言わずに、その場から離れてしまう。耐えられないのだと思う。つらいのだと思う。こういう瞬間が、私にはとても堪える。去って行く長男の細身の後ろ姿を見ると、可哀想でたまらなくなる。だったら言い争うなということなのだが、そこで自分を止められないのが育児の難しさなのだろうか。

 さて、話題は変わって、同じ日に、同じ版元から発売となった鈴木智彦さんの『ヤクザときどきピアノ』だ。私は2回目を読んでいるところ。熱い筆致に感激する(そしてときおり爆笑)。鈴木さんとは何度かお会いする機会があり(一度はイベントの司会をして頂いたこともある)、今回も発売日が同じ、担当編集者が同じということもあり、勝手に姉妹本ではないかと思っている。読者の方にはセットで買って頂いている様子もあり、ありがたいことだなと思う。

 その鈴木さんが、自著のための補稿(鈴木智彦)というブログを書いていらっしゃって、それがなかなかどうして、本と同じぐらい面白いので読んでしまう。読者のみなさんにとっては、執筆のバックグラウンドが読めることは楽しいことなのかなと想像する(私が読んでいて楽しいので)。いわゆるスピンオフということだろう。

 そこで、鈴木さんを真似して、私も少しずつ書いてみようと思いはじめた。『兄の終い』のことだ。

 インターネット上に感想を書いて頂くことは、著者にとっては本当にうれしいことだ(もちろん怖いことでもある)。だから、ごめんなさいと思いつつもエゴサして、感想を見つけてはゲリラ的にリプライをつけてしまったりする。すいません。そんな読者のみなさんの感想を読んでいて、気づいたことがある。兄側の立場として読んでくれている方が多いのだ。

 『兄の終い』を猛然と書きながら、私が思い続けていたことは、兄と私の間にはなんの差もないということだった。私がこれから兄側に行くことも十分考えられる。私が孤独死する可能性もある。兄と私は同じ両親のもと、同じ環境で育ってきた、いわゆる同じチームのメンバーだ。兄のことは長年見てきたが、転落していくきっかけというものは、些細なことだったと思う。だから、私は常に、私が兄側にいかなかったのは、偶然に過ぎないと思ってきた。そして兄が亡くなったいま、それを確信している。そしてもう一つ確信しているのは、兄が私側だったら、きっと私を助けただろうということだ。「俺はあいつの兄ちゃんだから」と、きっと兄は精一杯の努力をしただろうと思う。そこが私と兄の違いだ。

 母と兄は、ときに間違った優しさを発揮する人たちだった。信じられないような優しさを見せた次の瞬間、頭が真っ白になるような無理難題を突きつける。そんな人たちだった。何度考えても、私があの2人とうまくいくはずはなかった。

 原稿が書き終わり、そうだ、加奈子ちゃんに許可を得るのを忘れていたと、急いで彼女にメッセージを書いた。彼女はすぐに返事をくれた。そこには、「あの人は悪いところもたくさんあったけど、それと同じぐらい、いいところもたくさんある人でした。それをすべて書いてあげて下さい」とあった。なんともいえない気持ちになった。なぜ、兄はその強烈な優しさを、自分自身に向けなかったのだろう。

夕ご飯:薄切りの豚肉、ほうれん草、うどんの鍋。