休校DAY73+兄の終い補稿

73日目。

春休みの課題を済ませ、必要書類と一緒に学校に提出してきた。ドライブスルー方式での提出だった。校門前に先生たちが立っており(後方には白いテント。テントの下には学年別段ボールが三箱。箱には1年、2年、3年とマジックで書いてあった)、保護者は車に乗ったまま、事前に配布された茶封筒を先生に手渡しする。若い先生たちが、封筒を笑顔で受け取ってくれた(マスクしてたからわからないけど、たぶん笑顔)。茶封筒と交換で先生たちから受け取った封筒には、アンケートのようなものと連絡プリントが入っていた。なかには、家庭のネット環境を確認するものもあった。

わが家はパソコンやらガジェットやらは、私の趣味なので山ほどある。何が起きても大丈夫だ。これから先、いつまた休校になるかわからない。それを見越して、ウェブ授業のための調査をされているのだろう。うきうきしながら、該当項目に丸をつけた。パソコンあり、Wifi環境、プリンタあり。フフフ……いやしかし、先生たちも、大変ご苦労さまです。

さて息子たちですが、今日も休校生活をエンジョイしていた。もうこうなったら最後まで楽しんでくれ。勉強はあまりしていないようだけれど、それでも課題の提出はしているし、塾の宿題もやっているし、とても健康だ。もうそれでいいじゃないかと思う。いや、思いたい。毎日機嫌よく暮らしている。楽しそうにしている。愛犬ハリー号の面倒を見ている。

私がいま心配なのは、自分自身のことだ。学校が再開したとして、今まで通りやっていけるのだろうか。以前にも書いたとは思うが、一学期は給食がない。学校再開=お弁当生活のスタートという意味だ。今から頭のなかは冷凍食品のラインナップでいっぱいだ。せめてお米はおいしいものを詰めてあげよう。お米がおいしかったら、「おいしいお弁当だった」という記憶が残るはずだ。いや、残って欲しい。

さて、兄の終い補稿だ。昨日、お世話になった葬儀屋さんのアカウントからフォローされて驚いたのだが、なんと今日は、良一君の担任の先生の奥様からメールを頂いていることに気づいた。私のブログのフォームがちゃんと動いてなくて、確認できていなかった。4月に送って下さっていたので、たぶん、『兄の終い』を読んですぐに書いてくれたのだろう。本当に申し訳ない。担任の先生は、涙もろくて、とても優しい方だった。兄はたぶんひどい対応をしていた。兄が倒れていたアパートで、警察や児童相談所の職員さんが来るまで良一君に付き添って下さったのも先生だ。奥様からのメールには、元妻加奈子ちゃんと私が、かめ吉の水槽を持ち込んだリサイクルショップが最近閉店したことが綴られていた。あんなに汚い水槽を笑顔で引き取ってくれた、とても優しいお店だったのに、寂しい。

本は今まで何冊か出版しているけれど、こんなにも不思議な巡り合わせがたくさん起きる本は『兄の終い』が初めてだ。もう二度とこんな話は書けないのではないか。そんなことを考えながら、多賀城の景色を思い出している。

好きだよ、多賀城。私たちに優しくしてくれてありがとう。
(『兄の終い』p154)

休校DAY72+兄の終い補稿

休校中の息子たちは、突然家の中にいるのが飽きたようで、今日は水筒とお菓子とスマホを担いで二人で出て行った。トレーニングをして、帰りにコンビニでLチキを買って戻るわ、夕方まで出るけど心配せんとってと言って、マスク片手に出て行ったが、30分ほどで戻って来た。戻ってきて私に、「やっぱり家が一番いいね」と言い、すぐに風呂に入って着替え、ソファに寝転んで扇風機の風を受けながら二人でゲームをしていた。そりゃ、家のほうがいいよね。

しかしこんな生活もあと2週間だ。6月からは学校が始まる。フフフ。ちゃんと元の生活に戻ることができるかな。ちょっと心配。

そして今日は、連載が更新されている。女三人による交換日記だ。青山ゆみこさん、牟田都子さんとご一緒させていただいている。

https://www.akishobo.com/akichi/moyamoya/v9

今回の原稿のなかで書いている、私の周りの3人のこと。私にこう言ってくれた人は、なぜ3人なのかという私の問いに「適当」と照れて言ったけれど、彼が言った3人が、「自分の両親+誰かひとり」だったというのは会話しているうちに理解できた。両親がいない場合は(私はこれにあたるけれど)、近しい親戚の誰かということだろう。この3人っていうのは、なかなかどうして理にかなった数字だと思う。

実はこの3人のなかに兄が入っていた(実際に、私は兄に相談した。両親には相談できなかったから)。兄は「そんなこと大丈夫だ。何も心配すんじゃねえ。俺がどうにかしてやる」と言った。久しぶりに会った母の葬儀の前にも、「あのことだけど、大丈夫だ。絶対に大丈夫、俺がどうにかしてやるから」と言っていた。それも、とんでもなく悲しそうに。

それでも、どうにもしてくれなかった。思い出して爆笑してしまった。兄ちゃん、めっちゃ面白いな。でも、兄は常にこうだった。私のことを心配し、私のためを思い、私にやさしかった。それなのになぜこじれてしまったのか、そんなの私にもわからない。

こちらでこっそり書いてしまうが、兄の葬儀でお世話になった葬儀屋さんにフォローされてしまったヽ(´ー`)ノ  なんでバレたかな。多賀城はそこまで大きな街じゃないから、どなたかが伝えて下さったのだろうか。それじゃあ、大男の児島さんにも読まれてしまったのだろうか。児島さん、お世話になりました。

『兄の終い』は出版後にいろいろなことが発生しすぎてびっくりだ! いずれにせよ、うれしいけどね!

そしてそして、ひとやすみ書店のカリスマ書店員の城下さんが、西日本新聞の「カリスマ書店員の激オシ本」で『兄の終い』を激オシして下さった。感謝。ありがとうございます。

今日も原稿がなかなか進まなかった。これはマズイ。明日には絶対に完成させなければ迷惑をかけてしまう。今日はもうひとがんばりしよう。

ゆうごはん:ハンバーグ、味噌汁、ごはん。ミルキークイーンというお米、激ウマだな。

休校DAY68-70

1)冷蔵庫の中のあまった野菜(タマネギ、人参、ピーマンなど。基本、あまり野菜でヨシ)をかき集める。
2)刻む。
3)合い挽きミンチと刻んだ野菜を炒め、醤油とみりんで甘辛く(強めに)味付ける。
4)ふわふわ卵(3個分)を作る(フライパンで油をよく熱して、しっかり溶いた卵を一気にジャーッ! っと流し込む。ぷくぷく&ふわふわ。皿に取る)
5)ラーメン鉢に炊きたてのごはんを盛り付ける(上が平らになるように。古墳イメージ)。
6)とろけるチーズを乗せる。
7)ふわふわ卵をチーズにふわりと乗せてフタをする(チーズが溶けるように)。
8)ふわふわ卵の上に、炒めた合い挽きミンチ(と野菜)をたっぷり盛る。お好みでちぎったレタス、葱などを加えてもいい。

息子たちがよく食べている・作っているメニューだ。ちなみに私は一度も食べたことがない。見ただけで胸焼けできる。しかし、よくできているメニューでもある。作り置きが可能だし(当然冷凍ストックできる)、余った野菜を効率よく使うことができるし、味付けがシンプルで、作りやすい。あとは米と卵があればいい。見た目もなんとなくキャッチーだ。何らかのフックがある。若者が素通りできない佇まいだ。

二年ぐらい前に僧帽弁閉鎖不全症という弁膜症の一種をやって、手術してからというもの(病気のこともいつかちゃんと書きたいな)、料理をやろうという気持ちが遙か彼方に消えて行ったのだが、こういう効率重視みたいなメニューは考えて作るようになった。一皿完結っていうのがありがたい。すこしぐらいの逸脱は受け止めてくれるだろう、懐の深い一皿。失敗がない。絶対に食べる。中学生でも作ることができる。

さて、休校は本日で70日目。学校に行くという行為のほうがむしろイレギュラーに感じられるほどだ。夕方から塾のWeb授業があるが、息子たちは起きてからずっと、音楽を聴いたり、ゲームをやったり、それぞれが楽しそうにやっている。「勉強をしなさい」という言葉がむなしすぎる。「勉強をしなさい」と、「明日からダイエット」は同じぐらいむなしい。

学校からは大きなスケジュールのような時間割(?)が配られている。各教科、学ぶべきところが箇条書きされていて、先生方の苦労が伺える。先生、大変ですね、本当に。

私は、二人が起きるずっと前に、愛犬ハリー号を連れ出して散歩に出るようになった。一時は殺人犬と呼ばれ、私を引きずり倒していたハリーだけれど、最近はまあまあ大人しくなって、散歩が楽しい。ハリーが最高過ぎてもう欲しいものはないかもしれない。

なーんて考えていたら息子に話しかけられ、本当に腹がたつことを言われ、本気で怒ってしまった。子供と対峙していて最も腹が立つのは、調べずに聞いてくるという姿勢であり、何も知らないのに知っていると勘違いしている傲慢さであり(私だってそれに関しては自覚あるけれども)、それであるのに、人の話をぜんっぜん聞かないという身勝手さだ。

『兄の終い』は、地味だけど、じわじわ売れてくれているらしい(なんやそれ)。

休校DAY63-67

ほうれん草、豆苗、コーンを入れた塩ラーメンを食べていた。塩ラーメンは野菜と相性がいい。どんな野菜を入れてもおいしく出来上がる。特に豆苗と塩ラーメンの組み合わせは最高だと私は思う。

豆苗は、さっと火を通しても、しっかり火を通しても、なんなら生でもおいしい野菜だ。シンプルでまっすぐ。他の野菜を邪魔しない、明るくて楽しいヤツ。冷蔵庫のなかで勝手に伸びるし(褒める必要とかない)。

作業の合間にささっと作って、メールをチェックしつつ食べていたら、巨人化している次男がノソノソとやってきて「いいなー」と言った。

「さっきいらないって言ったじゃん」と返すと、「やっぱりおれにも作ってー」と言う。「自分で作って下さい」と答えると、「ちょっと、それってひどくね? ひどい母親やわー」と、むっとしながら言う。

なにがひどい母親だよ、なめんじゃねえと思いつつ、塩ラーメンを譲ってしまった。ひどい母親もなにも、ものすごく甘い母親なのでは。

自分用の塩ラーメンを再び作りながら、いろいろなことを考えていた。私が14歳のころ、自分の母親に求めていたことは何だったかなあ。

14歳のころ、私は自分の母に、普通の母親であることを求めていたのではないだろうか。その頃の私にとって「普通の母親」っていうのは、話をちゃんと聞いてくれる母親で、少なくとも、夜は家にいてくれる母親だった。なかなかどうして無理だったよね、彼女には。

息子たちは何を私に求めているのだろう。

休校はとうとう67日目。

晩ご飯:冷凍ナポリタン(やばいよやばいよ)
豆苗は火を通すと鮮やかなグリーンになるのも最高だと思う。いいやつだよ、豆苗。

休校DAY60-62+兄の終い補稿

おおお、ついに60日を超えしてしまったか。この休校ブログもずいぶん書いたような気がする。

最初は1ヶ月ぐらいで終わるだろうとたかをくくっていたけれど、とうとう2ヶ月を越えたことになる。5月いっぱい休校なので、最終的には90日に達するが、この90日っていうのは大変なことだな、冷静に考えてみると。90日間、ノンストップだ。

そんなことは言うまいと自分を戒めつつ、長いなと口に出さずにはいられない。関西の山間部から大声で叫びたい。「長い」と。

子どもたちにとって、この90日はあとあと大変な作業を(努力を? 苦労を?)強いられることになるはずだ。塾はWeb授業に切り替わったので、先生ありがとうございますという気持ちだが、zoomのインストールとか設定とか、山ほど出ている課題の整理などは、大変遺憾ではありますが、息子たち任せにはできなかった。任せたら塵になるまで放置されるだけだ。学校からも、同時に山ほどの課題が届いている。追加でも届くらしい。とりあえず、段ボールにまとめてあるけれども、戻って来た原稿が置いてあるデスクを見る度に、息子たちの課題の入った段ボールの存在が重荷になる。ああ、なんということだ……

疲れたよ。心の底から出るね、この言葉が。本当に疲れた。しかし、こういうときだからこそ、何か面白いこと、新しいこともできるのではないかという、ウキウキした自分がいることも認めざるを得ない。私はいつも、逆境で興奮するのだ!!

さて、『兄の終い』について。こんな状況下(多くの書店が閉まっている、Web書店の在庫が切れている、注文しても長らく届かない)にあるにも関わらず、重版というビッグニュースが届いた。これで3刷ということになる。涙。発売からわずか1ヶ月だ。涙。『兄の終い』に関わって下さった(今現在も関わって下さっている)、すべての人に感謝したい。著者ひとりで本は売ることができない。多くの人たちが売ろうとしてくれるからこそ、届くのだ。それから、もちろん読者のみなさんにも感謝したい。こんな個人的な話を読んでくれてありがとうございます。逆境オブ逆境で販売された『兄の終い』だけれど、この逆境にも若干興奮している自分がいる。

http://books.cccmh.co.jp/list/detail/2423/

休校DAY 59

今日も大変天気のよい一日。例年だと、私が住む地域は観光客でごった返すGWだが、今年は本当に人が少ない。いつもだったら渋滞してピクリとも動かない国道も、驚くほど車が少ない。

朝早くから仕事をしはじめたものの、なかなか手に付かず、一時間ほど書いてから庭に出た。昨日に引き続き、2年前の手術直後、ベッドに寝たままの状態でネット注文したマキタの充電式草刈り機を持ち出して、庭の掃除をした。私の復活の象徴である、マキタ。今日は天気がいいので愛犬ハリーも外に出して、一緒に作業をした。

わが家の庭には、桂、ケヤキ(これがまあまあの大木)、ヤマボウシ、ザイフリボクがある。今の季節、日増しに葉を増やし、美しい。重なる葉の向こうに、青い空が見える。その鮮やかな色を見ていると、いてもたってもいられずに、せっせと庭の雑草を掃除したりする。今日も、そんな時間を過ごした。しばらく作業して家に戻り、お風呂に入ってソファに寝転がっていた。

キッチンで息子たちが料理をしはじめた。自分たちで作ることを決めたようだ。次男が冷蔵庫から卵のパックを取りだした。新しいパックだ。冷蔵庫の卵入れに、そのパックよりも前に買った卵がぎっしり入っているのだが、何も言わないでおいた。次男は続けてハムを取り出した。そのハムは、とても柔らかいハムで、あまり目玉焼きには合わないんだけどなあ、冷凍庫にベーコンがあるんだけど……と言いかけて、やめた。次男が長男に、卵、何個? と聞き、長男は2個だと答えた。

「お前は黄身が好き? それとも白身?」と次男が聞く。長男は、
「俺は黄身が好き」と答えた。

「ごはんは? お前、もっと食わないと、体が大きくならんで」
「わかってる。でも、これぐらいでええわ」

「ハムは? ハムも食べるやろ?」
「そやな、ハムも食べる」

「うまいな。ちゃんと焼けてる」
「うん、めっちゃうまいわ。俺、これ食べたら風呂入るから、そしたら散歩に行かへん?」

「行こか。かあさん、俺ら、食べたら散歩行くけど、コンビニでなんか買ってこようか?」

いや、特になにもいらないよと私は答えた。いろいろとお腹いっぱいだ。


休校がはじまって、本日で59日。

晩ご飯:冷凍ナポリタン

休校DAY57-58

休校58日目。もう少しで2ヶ月。
今日はとても天気がよい日で、朝、少し仕事をしていたのだがどうにも作業が進まず、庭の汚れが気になっていたこともあって、自慢のマキタをフル稼働させて庭の手入れをした。2時間ぐらい作業して部屋に戻ると、長男が「お風呂沸かしておいたよ」と言った。庭の手入れをはじめる前、夕べの水を抜いて、洗浄剤を吹き付けておいたのだ。庭の作業が終わったら、自分で洗って、お湯を入れようと思っていた。

「浴槽、ちゃんと洗ってから入れたの?」と聞きかけたが、ぐっと飲み込んだ。そんなことを聞いてどうするのだ。洗わず、洗剤がついたままの浴槽に湯を満たしたとしても、長男が湯を満たしたことに変わりはないじゃないか。なぜそこを問いかけようとするのだ、私は。バカじゃないだろうか。

ギリギリセーフで何も言わず、「へえ、お風呂沸かしてくれたの、ありがとう!」と言って長男を見ると、誇らしげな顔をしていた。

休校が始まって2ヶ月、言いたいこと、聞きたいことの9割ぐらいを我慢すると、子どもと揉めないことにようやく気づいた。

息子たちの親切な行いから、あるいは勇気ある行いから、何が何でも減点しようとするその姿勢、ほんと最低だからなと自分に言い聞かせた。手放しに褒められないのはなぜ? 黙って最後まで聞けないのはなぜ? 嫌がらせのレベルでダメな対応をするな、私は……。

夕方、次男がマイケル・モーパーゴの『世界で一番の贈りもの』を読んでいた。兵士同士が無人地帯に出てくる場面で、次男は「あー、こういうのつらいなあ。もう読みたくなくなってきた」と言った。私は背後から聞こえてくるその声を、キッチンで皿を洗いながら耳にして、密かに感動していた。本を開いて、文字を追って、「状況を想像するとつらいから、もう読みたくない」という感情。大事ですから、それ!!!! めっちゃ大事ですから、たぶん!!! 

皿を急いで洗って、次男と座り、カレーせんべいを食べながら、「かあさんって教科書載ったことある?」「あるわけないじゃん」とか、そんな話をした。

休校は、最低でもあと1ヶ月は続くようだ。仕事が溜まってきてしまった。どうしたらいいのだ。わけがわからなくなってしまいそうだ。こんなカオスになるなんて想像もしていなかったけれど、カオスや逆境には慣れているはずだ(なにせ兄を終ったばかり)。こんなことで負けてはいられない。今だからこそ、やることはやらないとな。

ゆうべ晩ご飯:カツ丼

休校DAY55-56+noteはじめました。

休校が開始されて55日が経過。本日もわが家の双子は元気だ。勉強もなんとなくやっている。もう、こちらから厳しく言うことはやめた。そもそもGWだった。

まずはお知らせになってしまうが、新しい連載がはじまった。亜紀書房Webマガジンあき地で、『あんぱん ジャムパン クリームパン 青山ゆみこ・牟田都子・村井理子』の村井理子パートの担当だ。


新連載スタート
私の担当

自粛生活で不自由なこと多々あると思いますが、そんなときの気晴らしになれば。よろしくお願いいたします。

今回、私の担当から、以下、引用。

だから、私はひとりぼっち。実際には、自分の家族がいるのだからひとりぼっちじゃないのだけれど、それでも、私はひとりぼっちだなって、強く感じています。私の心の真ん中にずっと住んでいるあの家族は、静かに、ただそこにいるだけの存在になってしまいました。幸せや喜びを感じるたびに、同じように感じることができない、心の中に静かに存在しているあの人たちのことを考えます。自分の幸せのなかに、彼らを失った切なさを、悲しさを、どんどん注ぎ込むようにして暮らしています。幸せがどんどん薄くなってしまうのです。むかし、節約家のおばあちゃんが作ってくれたカルピスみたいに、すごーく薄い感じ。

これはもちろん、私の両親と兄という、私のそもそもの家族のことを書いている。自分の根っこの部分にある(いる)「家族」というものが、自分以外存在しなくなるということは、私の想像をはるかに超えるほどの衝撃だった。その衝撃とは、「取りかえしがつかない」ことを目の当たりにしたときの衝撃だ。「取りかえしがつかない」ということが、起きるとわかっているのに、私たちはそれに対してあまりにも無力だということを、身をもって知った、その衝撃だ。

「与えてあげることができない」ことの、「共有することができない」ことの、損失。しかし、その大きな穴を自分自身が覗き込むまで、その実際の大きさを、やるせなさを、誰も知ることはできない。そんなことに対する衝撃だ。いつかゆっくり考えて、書いてみたい。

ここ数十年で多くの災害を目撃し、多くの人の命が失われることを情報として得てきたけれども、その何倍も存在する家族たちの、本当の絶望のようなものは、理解していなかったと今更思う。そんなことを考えながら、漠然と書いてしまった。一人だけ暗くね? 大丈夫かな。

それからもう一つお知らせ。noteをはじめました。このブログの内容を転載するような感じだけれど、noteだと双方向のやりとりが容易なので、アカウントを作ってみました(というか、ずっと持っていたんだけど、やっと動かした)。

いろいろ書いてみるぞ

休校も長くなるし、書店も閉まってしまったので、いろいろ試行錯誤してみようと思う。

休校DAY46-54+兄の終い補稿

ままま、まさかこんなに休校が長引くとは夢にも思っていなかった!(何度書いたのか、このフレーズ) 先日、学校から連絡があり、休校が5月末まで延長されることがわかった。休校が伸びることについては、繰り返しになるが、仕方のないことだと思う。先生たちも苦労されているだろう。今の私の心境は、昨日公開になった「考える人」(新潮社)連載の『村井さんちの生活』で書かせて頂いている。是非。

https://kangaeruhito.jp/article/14007

 この休校措置がどれぐらいの長さになるものか、まったく見当もつかないし、子どもたちのこれからの人生にどのような影響を及ぼすのかも一切わからない。しかし長い人生だからこそ、この1年、2年、あるいはそれ以上になるかもしれないこの状況が、わずかでも彼らにプラスに働くことを願いたい。学校や塾の先生もきっと、様々な方法を考えてくれているはずだ。だから私は、しばし諦めることにした(すいません)。諦め、流されることをここに宣言したい。そして家にいます。自宅警備員として。

 さて、『兄の終い』補稿です。

 実は先日、多賀城市役所の方からメッセージを頂いた。『兄の終い』を読んで下さったそうだ。市役所で働く何名かの方々が、今も読んで下さっているという。本当にびっくりした。確かに、本の中にはかなり堂々と、市役所も、市役所近くの図書館も、蔦屋も出てくるのだけれど、まさか……といった感じだ。ファソン・ドゥ・ドイさん、里親さん、市役所のみなさんが読んで下さっているんだって! スゴクね? と加奈子ちゃんにメッセージを送ると、「児童相談所の担当職員さんも読んで下さったよ」とのことだった(加奈子ちゃんが本のことを知らせてくれたのだ)。「あとは塩釜署だね」と加奈子ちゃんはうれしそうだった。多賀城のみなさんが、お友達に、後輩に、家族に、同僚に、本を紹介して下さっている。ありがたいことだと思う。

 それから、読者のみなさんから愛読者カードが版元に届きはじめている。すべて読ませて頂いている。こんなに大変な時期に、書いて、そして切手を貼って出して下さったことに感謝しかない。それから、レビューも増えてきている。それも、担当編集者とともにちゃんと確認させて頂いている。読みやすい、一気に読んだという感想が多いことに感激している。原稿を書くときは、一歩も二歩も下がって、できるだけ自分の感情を排除して、客観的に、正確に、ただし、様々な方面に配慮を重ねて書いたつもりだ。初稿を書き上げてからも、何度か推敲して、随分削って落としている。なんとしてでも最後まで読んでもらいたかった。その作業が、もしかしたら実ったのかもしれないと思うと、とてもうれしい。

 兄については、様々な感情がある。そのなかで最も強いのは、やはり、兄が可哀想だなという気持ちだ。若くして突然亡くなったのが可哀想ということではなく、自分自身を大切にすることすら諦めた兄が、哀れでたまらない。自分のことをもっともっと大切にして欲しかった。それでも私がどん底まで落ち込まないのは、良一君という強い光が差しているからだ。

夕ご飯:ハンバーグ、コーンスープ、ポテトサラダ。

休校DAY45+兄の終い補稿

息子たちの先生から相次いで電話が入った。来月5月6日までの休校だけれど、その先どうなるか、わからない状況になりつつあるということだった。私たちがハリーの散歩に出たときに、家まで追加の課題を持ってきてくれていた。ポストを確認すると、たっぷり入っていた。帰宅直後に先生から電話が鳴り、次男が取った。次男はうれしそうに話をしていた。

 先生の影響力は大きい。いままで机に座らせることに苦労していたというのに、慕っている担任の先生から電話をもらった次男はたいそう喜んで、すぐさま課題を開き、「ああ、これはもう塾で習ったところや。よかったわあ、塾に通っておいて」と言っていた。こんな時期だからこそ余計に、こんな言葉をうれしく感じる。

 直後に長男の先生からも電話があった。「お母さん、本年度のPTAも継続して役員をして下さるそうで……」という内容だった。全国的に同じような感じだと思うのだけれど、新年度のPTA役員、決まりました!? 今の状況だと無理ですよね?? 私、去年広報委員長をやったんですが、今年度は役員会もすべて中止になっているので新役員の選出なんて無理すぎる。だから、もう一年やらせてもらうことにした。仕方ないよね、こんなときだから。それで、様々な作業を電話やメールで行うという話をして、電話を切った。先生も大変そうだった。

 ハリーの散歩も終わったので、コーヒーをゆっくり飲みながら空を眺めていて、ずっとずっと昔のことを思い出した。私がまだ小学生にもなっていないころの話だ。そのとき、両親はジャズ喫茶をやっていて、夜遅くまで家に戻らないことがよくあった。時折、母だけ家に戻ってきて(店からは徒歩3分ぐらいの距離に家はあった)、ごはんの支度をしたり、私たちを風呂に入れたり、寝かしつけたりしていた。兄と二人きりの家は私にとってはとても寂しく、心細くて、特に夜になると、薄暗い蛍光灯に照らされた古い家はすごく不気味で、怖くて、店にいる母に頻繁に電話をしたものだった。

 当時、両親のやっていた店はすごくはやっていて、サーファーみたいな若者でいっぱいだった。たぶん、そんな店を経営するのは楽しかったと思う。両親ともまだ30代だったから、そりゃ毎晩、飲んで音楽を聴いて、ワイワイ騒いで、楽しかったと思う。そんなところに私から何度も電話がかかってくるものだから、母は私が電話をすると、とても嫌そうにし、そして一方的に電話を切った。それを悲しむ私を見かねた兄が、私を自分の自転車の後ろに乗せて、店の前まで連れて行ってくれた。何度も、何度も。店のガラス窓の向こうはたばこの煙で真っ白で、その真っ白な煙の間に両親の顔を見つけると、私は納得して、兄の自転車の後ろに乗って、家まで戻った。

 そんなある夜、兄といつものように2人乗りをして家に戻る途中、兄がずっと向こうから自転車に乗ってやってくるお巡りさんを見つけた。兄は急いで自転車をUターンさせると、小さな飲み屋街のような場所に入っていった。薄暗くて、赤い提灯がぶら下がっているような店がたくさんあるところだ。そこの共同便所の前で私を自転車から降ろして、「兄ちゃんが戻ってくるまでここで待ってろ。絶対に動いちゃダメだぞ。いまからお巡りさんをまいてくるからさ!」と言って、ものすごい勢いで自転車を立ちこぎして、あっという間に行ってしまった。もちろん、私はそこで待ってはいられなかった。

 私は(たぶん)真っ青な顔をしてその場を離れると、兄を必死に追った。真っ暗な夜道をひたすら走った。そして、お巡りさんに呼び止められた。

 「どこの子?」 

 私がもじもじしていると、兄が猛スピードで戻ってきた。キーッ! というブレーキ音が、今でも聞こえるようだ。兄はなんだかんだとお巡りさんに説明し、ペコペコ頭を下げ、そして私を再び自転車の後ろに乗せて家に戻った。

 兄は私が二十歳ぐらいになるまで、酔っ払うと必ずこのときのことを話し、そして大笑いした。

 「あのときのお前の顔、すごく面白かったぞ!」 そう言っていた。

晩ご飯:コンビーフ、ポテトサラダ、フランスパン、ゆで卵

お知らせ:連載している「考える人」(新潮社)の編集長が、編集長のお気に入りとして『兄の終い』を紹介して下さっています。是非。

https://note.com/kangaerus/n/n90110c1821ce